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2017-04

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カップ集めのこと~ウェッジウッド/リチャードジノリ/マイセン/ヘレンド他

カップについてです
ずっと普段使いにしていたカップがあるけれど
そろそろ新しいのが欲しいなーと思いました
それでいろいろ探してこれを注文ー
今日届いたーヽ(´ー`)ノ

ウェッジウッド(バタフライ).jpg

注文したお店はここ↓
 ブランド洋食器の ル・ノーブル Le noble
  http://www.le-noble.com/index.html




商品のページはここです
 http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/003267797389/


ウェッジウッド(Wedgwood) ハーレクィーンコレクション
カップ&ソーサー(バタフライ)

商品説明

ギフトボックス付き。非常に愛らしい6種類のデザインカップとソーサーです。これらのデザインは18~20世紀にかけて実際に使われていたもので、現在ウェッジウッドミュージアムに保管されているウエッジウッド社とコールポート社のアーカイブに基づき再現されました。。
*このハーレクィーンシリーズは箱の形状の都合上、熨斗包装をお承りすることができません。あらかじめご了承くださいませ。



ヽ(´ー`)ノ

この写真しかみたことなかったけれど
画像だとちょっと色がきついかなーと思ったけれど
届いてみたら実物は落ち着いた感じで気に入りました

1個入り&箱も特別なきれいなもので
1個ずつ集めるのが昔から趣味なので趣味にあってるっぽいです

デミタスだから個人的には実用にはちょっと向いてないけど、、、
いいカップが増えましたーヽ(´ー`)ノ

   飾り星青


他にも手持ちのカップがいくつか画像つきで売っていたので
それも見ていくことにー



まずは普段使っているのがウェッジウッドのこれです

ウェッジウッド(Wedgwood) ハンティングシーン
ティーカップ&ソーサー(インペリアル)
 http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/003267585887/

ウェッジウッドハンティングシーン.jpg

商品説明

イギリスの田舎の風景の中で獲物を追いかける狩人と猟犬を描いたシリーズ。少女が描いたクレヨン画からヒントを得てデザインしたそうです。



普段遣いにする条件は、
気に入っているけど飽きが来ない
&壊れても買い直せるお値段
&壊れにくい、汚れにくい
──これらを満たしていないと無理です

これは満たしているのですが、ずっと使ってたし、、、
でもしばらく使い続けそうです

ヽ(´ー`)ノ



リチャードジノリ(Richard Ginori) フィレンツェ
ティーカップ&ソーサー
 http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/001507042980/

ジノリフィレンツェ.jpg

商品説明

1780年頃の美の潮流、古代ローマ時代を理想とする新古典主義の様式を表現したインペロシェイプに、トスカーナのおだやかな田園風景を小さな銅版画におさめた「フィレンツェ」シリーズ。銅版画のまわりには、ベニスの輪と呼ばれるリース風の模様が描かれています。



先代の普段遣いのカップがこれです
カップが壊れたので、ソーサーだけ小皿として現役です
お菓子とかよくいれてます
ソーサーもくぼみがないものは小皿に使い回ししやすいです

デミタスのも持っているけれど
私の場合デミタスは観賞用になります

これは好きなシリーズなので揃えたいなー
また買い直そうかなと思いつつ、同じのを2つ買うのもなーというところかも
デミタスをもってるだけ、かなりお気に入りなのは確かです

ヽ(´ー`)ノ



あとはお気に入りのも売ってました

マイセンアーモンドの木.jpg

マイセン(Meissen) アーモンドの木 700110/23582
コーヒーカップ&ソーサー(150cc)
 http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/070011023582/

商品説明

紫にけぶるアーモンドの樹の姿が美しく、マイセンならではの独特のシェイプも、高度な手作りの技術を感じさせます。色合いに華やかしさはあまりありませんが、落ち着いた色目のシリーズで、長くお使いいただけます。



これはマイセンのものです
しぶくて気に入っています
価格の都合で普段遣いにはならないのが残念だけど、、、

マイセンはアラビアンナイトのとかも欲しいけれど
そのうち集めたいなー、高いけど・・・
全種類集めるといくらだろ;;

http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/068071023582D/

商品説明

アラビアンナイトは、ヴェルナー教授 に生まれて、すでに現代マイセンの「古典」となった作品です。自由なインスピレーションから生まれたそれぞれのピースによる柄の競演。絵柄だけでなく、舞台の幕のようなカーテンも、ひとつひとつ異なり、見飽きることがありません。コーヒーカップやケーキプレートには12のモチーフがあり、こちらはその中の一つです。





あとは手持ちのを2つほどー

リチャードジノリ(Richard Ginori) ジオ・ポンティ
カバードカップ&ソーサー(ファンティーニ)
http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/011090209790/

ヘレンド ポアッソン 03364-0-21/3364
ラージカップ&ソーサー
http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/020703364021/

ヽ(´ー`)ノ

   飾り星青


というわけでカップ集めは楽しい趣味です

ヽ(´ー`)ノ

ウィキペディアしらべー

▼ウェッジウッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89

ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)はイギリスの陶磁器メーカー。ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立された。ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大の陶磁器メーカーの一つである。主に高級食器を製造・販売しているが、アクセサリやタオル、テーブルクロスなども扱っている。

日本には子会社としてウォーターフォード・ウェッジウッド・ジャパン株式会社がある。

歴史

[編集] 創業期
イングランドの陶業は17世紀までロンドンやブリストルで生産されるデルフト陶器が主であったが、18世紀に入ると上質陶器やストーンウェアがこれを代替していった。これらの製造には良質の粘土が必要であり、イングランド中部のスタフォードシャー州は良質の粘土や石炭を産出する事などから陶業が急激に発展した。

ジョサイア・ウェッジウッドはこの地方の陶工の息子として1730年に生まれ、若いうちから製陶技術や化学、図版などの知識を評価されていた。そして数回の共同経営を経た後、1759年にバーズレム(Burslem)にある工場を叔父から引継ぎ、独立・開業した。この際に従兄弟のトーマスを管理者として雇用している。

このアビー・ハウス工場(Ivy House Works)で開発した緑色の釉薬を用いた陶器は好評を博し、3年後の1762年には同じくバーズレムにあるブリック・ハウス工場(Brick House Works)に移転した。ここでジョサイアは、会社の代表作となる、エナメルを用いたクリーム色の陶器を完成させた。これはシャーロット王妃(ジョージ3世の妻)にも納められ、「クイーンズウェア(女王の陶器、Queen's Ware)」という名称の使用が1765年に許可された。

1769年にはリバプールの商人であったトーマス・ベントレー(Thomas Bentley)を共同経営者として迎え入れると、トーマスの人脈などもあって会社は発展を続けた。クイーンズウェアはヨーロッパのみならずアメリカ大陸にも出荷され、1774年にはロシアのエカチェリーナ2世から952点の「フロッグ・サービス」と呼ばれる陶磁器セットの注文を受けている。


[編集] エトルリア工場への移転
このような中でジョサイアは再び工場を移転することにし、ニューカッスル・アポン・ライム(Newcastle-upon-Lyme)とハンレー(Hanley)の中間の地を選んだ。この土地はイタリア南部の地にちなんでエトルリアと命名され、工場名もエトルリア工場となった。1769年の操業開始後もしばらくはブリック・ハウス工場で低価格の実用品の生産が続けていたが、しばらくすると全製品が移管されてブリック・ハウスは閉鎖された。

この頃、在庫の増加が資金繰りを圧迫して経営を危険にさらすことをジョサイアは初めて理解し、当時としては先進的な原価計算を取り入れるようになった。これによって高級品の生産に対していたずらにコストが増加してしまうことを防いだ、と考えられている。

エトルリア工場では、まずブラック・バサルト(Black Basalt)が開発された。これは、当時スタフォードシャー州で作られていた黒色陶器を改良したもので、今日まで会社の主力製品の一つとなっている。さらに1774年にはジャスパーウェアが開発され、1790年にジャスパーによるポートランドの壺が作製された。この壺は1878年にウェッジウッド社の商標に組み込まれ、コーポレート・アイデンティティの重要な要素となっている。

ジョサイア(一世)の死後、その息子であるジョサイア二世が経営を引き継いだ。二世はボーンチャイナの製造を試みたが生産はすぐに中止され、1878年にボーンチャイナ生産は再開された。以降、三世から五世まで経営は世襲され、1895年にジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズ(Josiah Wedgwood & Sons)として会社が法人化された。


[編集] 20世紀以降のウェッジウッド社
エトルリア工場が開設されて150年以上が経つと、設備や敷地面積は限界に近づいていた。このため6マイル離れたバーラストンへの工場移転が1936年に決議され、1940年から操業が始まった。この新工場によって、1950年代の生産は建設前の20倍以上に拡大した。

1960年代に入ると、創業300年以上のウィリアム・アダムス社をはじめ多くの同業者を買収して会社の規模は2倍になった。このような拡大の中、1967年にジョサイア五世が引退するとアーサー・ブライアンが社長に就任し、初の一族外の経営者となった。1970年代には引き続き陶磁器メーカーを買収するとともにキングス・リン・グラス社など陶磁器以外のガラスメーカーなども買収し、業務内容を広げた。

1986年、コングロマリットであるロンドン・インターナショナル・グループ(現・SSLインターナショナル)がウェッジウッド社に対する敵対的買収を試みた。これに対抗するためにブライアン会長は、アイルランドのクリスタルガラスメーカーであるウォーターフォード・クリスタル社をホワイトナイトとし、同社との合併を選択した。これにより、ウォーターフォード・ウェッジウッド社が誕生し、ウェッジウッドはその傘下に入った。

ウォーターフォード社は同じ食器メーカーであり合併のシナジー効果が強く期待されたが、ウォーターフォード社のリストラによる経営の停滞などからすぐに十分な効果は生まれなかった。しかしウェッジウッド社は1995年に低価格の硬質陶器を発売するなどの戦略を取り、陶磁器メーカーとして世界のトップシェアを争う存在であり続けている。


[編集] 沿革
1759年ジョサイア・ウェッジウッドによりスタフォードシャー州・バーズレムで創業。
1762年ブリック・ハウス工場に移転。
1765年「クイーンズウェア」の名称使用を許可される。
1769年エトルリア工場の操業開始。
1878年「ポートランドの壺」をウェッジウッド社の商標に入れる。
1895年ジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズとして会社を法人化。
1940年バーラストンへ工場を移転。
1967年ウェッジウッド家以外の社長が初めて誕生。
1986年ウォーターフォード・クリスタル社と合併。




[編集] 高級陶磁器メーカーとしての戦略

[編集] 価格戦略
ウェッジウッド社の発展はイギリスの産業革命と時期が重なるため、新技術を導入して製造・運搬のコストを低減し、安価な商品を大量生産した事が要因だという見方もある。しかし、近年の研究ではむしろ同業他社よりも高い価格で販売を行なっていた事が明らかにされ、そのためのデザインやイメージによる差別化に成功したことが特徴だとされる。

創業者のウェッジウッドが陶磁器の製作に優れていたことはその大きな要因だが、高級品のデザインのための参考資料にも比較的大きな予算が当てられるなど、組織的にデザインの品質向上が意図されていた。これによって特に製造コストの高い装飾品部門において高い利益率を確保し、例として1798年の決算では装飾品部門が全体の支出に占める割合は24%だが、利潤に占める割合は43%に達していた。

なお、会社が低価格戦略を全く試みなかったわけではなく、在庫が増加した1771年の不況期には中流階級の需要開拓を狙って価格を引き下げている。しかしその効果はあまり見られず、社長だったジョサイアは「上流階級は多少の価格差に関心がなく、中流階級の購入を促すには不十分だった」と結論付けている。


[編集] 命名とイメージ
ジョサイア(一世)は、工場の地名をエトルリアとしただけでなく、オリジナルと異なる技法・材料で作られた作品に「ポートランドの壺」という同一名称を付けるなど、意識的に古代ギリシャ・ローマのイメージを利用した。また、技法の特許に際して「蝋画法」という命名をしているが、これは同名の古代の技法と内容は全く別である。

この他、製品名についてもジャスパー(碧玉)、バサルト(玄武岩)など高級感のある名称を好んだ。ウェッジウッドの名声は王室などの庇護によるところが大きいが、このような命名方針はそれをさらに強める役割を果たしたと考えられている。


[編集] 関連項目
ジョサイア・ウェッジウッド
ジャスパーウェア
ポートランドの壺
ロイヤルドルトン

[編集] 参考文献
岩崎尚人、神田良 「欧米長期存続企業の研究1:『ウェッジウッド』」 Vol.134、成城大学経済研究、P.84-66、1996年
新川徳彦 「ジョサイア・ウェッジウッドの経営とデザイン政策」 Vol.51、早稲田経済学研究、P.39-64、2000年
「岩波講座 世界の歴史22 産業と革新-資本主義の発展と変容-」鈴木良隆、P87-105、岩波書店、1998年



▼リチャードジノリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B8%E3%83%8E%E3%83%AA

リチャードジノリ(RICHARD-GINORI)は、イタリアの総合陶磁器メーカー。

1735年にトスカーナ大公国のカルロ・ジノリ侯爵が自領であるドッチアに磁器窯を開き創業。当時マジョリカ陶器全盛のイタリアにおいて、マイセンやウィーン窯に対抗すべく、鉱物学に造詣が深かったジノリ侯爵は自ら原料土を捜したり、ペーストの生成や発色等の磁器の研究を行い、イタリア初の白磁を完成させた。開窯当初はマイセンのような豪華で精緻な芸術作品に力が注がれていた。

1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して、現在のリチャードジノリとなる。1956年、ラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併し、イタリア最大の陶磁器メーカーとなった。

ジノリ最古の代表作である「ベッキオホワイト」は不変の定番として親しまれている。また、1760年頃にトスカーナのとある貴族の為に造られた「イタリアンフルーツ」は現在でも新鮮さに満ちあふれ、不朽の名作として愛される。

また「オリエントエクスプレス」はオリエント急行の車内で使用されている食器で、ブルーの車体と同じ色のデザインに「VSOE」のエンブレムがアレンジされている。


[編集] 代表作
「ベッキオホワイト」
「イタリアンフルーツ」
「アンティックローズ」
「オリエントエクスプレス」



▼マイセン (陶磁器)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3_%28%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8%29

マイセン(Meißen)はドイツ・マイセン地方で生産される磁器の呼称。名実ともに西洋白磁の頂点に君臨する名窯である。東洋からもたらされた白磁は、17世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品であった。各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン王国のアウグスト強健王も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーにその研究を命じた。ベトガーは物理学者チルハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功し、西洋磁器の歴史の幕を開けた。

翌1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられた。これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりである。数ヵ月後に磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移され、厳重に機密が保持された。また、同年1月23日には「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」という布告が出ている。 マイセンはエルベ川の舟運により材料・製品の輸送が容易であり、また近辺には露天掘りでカオリンを採掘できる鉱山もあり(現在では坑道を掘って採掘)、この立地条件の良さが現在に至る繁栄を支えてきた。

初期のマイセンのデザインは中国の五彩磁器や有田焼の影響を受けているが、1720~1730年代に招かれた絵付師・ヘロルトらによってヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になった。1764年には工場私設の芸術学校が創設され、4年間の訓練・実習と専門課程が設けられている。また、1865年に作られた国立マイセン磁器製作所では、この芸術学校の卒業生が大勢働いている。

贋作防止のため、マイセンの陶磁器には交差した二本の剣のトレードマークが1723年から用いられており、これは現在まで使われているトレードマークの中ではもっとも古くからあるものの一つである。なお、刃や鍔の傾きなどは年代によって変化している。


[編集] 代表作
「ブルーオニオン」
マイセン窯草創期、日本や中国の東洋の東洋磁器に描かれたコバルトブルーのザクロが西洋に伝わったさい、西洋ではザクロが一般的では無かったためタマネギと誤認されたことから作られた図案。マイセンやフッチェンロイターなどに使用される。白い陶磁器を作る技術は東アジアで開発され、ヨーロッパ人はそれを取り入れようとした。同時に東アジア特有の絵柄(柳、行灯を持った人、ザクロなどの縁起物)も浸透していった。現在はその模様を世界中の陶器やガラス会社が模倣するようになった。
「インドの華」



▼ヘレンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%89

ヘレンド(Herend, Herendi pocelánygyár)は、陶磁器製のディナーウェア、人形、ホームアクセサリーをデザイン・生産・販売しているハンガリーの企業、及び商品ブランド。

歴史

1826年に、ハンガリーの首都ブダペストから遠くないヘレンド村に、ショプロン出身のヴィンツェンツ・シュティングル(Vinzenz Stingl, またはシュティングル・ヴィンツェ・フェレンツ Stingl Vince Ferenc)により創業。以前から焼き物の盛んだったこの地帯は、16世紀からマヨルカ陶器の産地としても知られているが、シュティングルの掘っ立て小屋の様な会社はそんな恐れ多いものとはほど遠かった。

掘っ立て小屋経営から抜け出したのは、1839年にタタ (Tata) 出身のフィッシェル・モーリツ(またはフィッシェル・モール、モーリッツ・フィッシャー, Moritz Fischer, Fischer Mór(ic))が経営の手綱を握ってから。そのころはマイセンや中国産(今で言う骨董品)の高級陶磁器の修復会社であった。

ヘレンドの名声を世に知らしめたのは、サルディニアの王が中国から持ち帰った陶磁器の食器セットの内、破損してしまったものの複製をヘレンドへ持ち込んだ事件がきっかけとなったからだ。一年近く実験を繰り返し、フィッシャーは破損した食器の複製に成功した。しかし、心配性の彼は言うなれば「偽物」である自分の作品に自信がなかったので、王に彼自ら作品を見せたいと願い出た。

トリノの城に着いたフィッシャーは、本物の中国製陶磁器をテーブルに並べ、自分の作品は棚にしまった。王や従者たちが部屋に入ると、早速「偽物」の批評が始まり、ここがいけない、あそこが違うと批判した。しかし、フィッシャーが真実を明かすと、一本取られた王は素直に受け入れ、王を騙せるほどの作品を作ったフィッシャーを賞賛した。

この逸話とヘレンドの名が広まるとともに、フィッシャーは新しく自社製品のデザインを次々に世に送り出した。1851年のロンドン博覧会ではヴィクトリア女王がウィンザー城のためにヘレンドに注文を入れた。中国風の絵柄に蝶の舞うデザインは一般にも販売され、「クイーン・ヴィクトリア」シリーズとして大変流行した。それからというもの、ヨーロッパ貴族の間でヘレンドの作品はブランドとして広まった。

1853年にはアメリカのニューヨーク産業展示会へ出展。フィッシャーは1866年にはハンガリー産業への貢献を認められ、貴族モーリッツ=フィッシャー・フォン・ファルカシュハージ(Moritz Fischer von Farkasházy, Farkasházi Fischer Mór)として称号を与えられた。1897年に、孫のイェネー(Jenő)が経営を受け継ぎ、ヘレンドの名は世界的に広まり続けた。

1926年にイェネーが他界してからは、アンドラーシュ伯爵(Count András)とエステルハージ・モーリツ伯爵(Count Móric Eszterházy)が経営。ヘレンドは開発施設等を新装するも、伝統を重んじ、ハイクォリティーの手作り陶磁器を作り続けている。

ヘレンドでは過ぎ越しのセデル用のプレートも作っている。

初稿は2005年6月6日版ヘレンドUSA公式サイト(ヘレンド社広報)より抜粋・翻訳。





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