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2017-10

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『砂の本』(ボルヘス)~無限のページを持つ本

ふと古いフォルダを眺めていたら
『砂の本』の「砂の本」のテキストを書写したものを
発見しました

砂の本 (集英社文庫) 砂の本 (集英社文庫)
ボルヘス (1995/11)
集英社

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というわけで結構長めに収録してあるけれど
どこからどこまでなのかわからなかったので
本を取り出して見てみました
すると、全文収録していたことがわかりました

この本には
「砂の本」(短編集)
「汚辱の世界史」(散文集)
がはいっています

「砂の本」は『砂の本』という短編集に納められた
短編のタイトルです

目次はこれー

EL LIBRO DE ARENA
1975
HISTORIA UNIVERSAL DE LA INFAMIA
1954

・砂の本
他者 9
ウルリーケ 23
会議 30
人智の思い及ばぬこと(ゼアラー・モア・シングズ) 59
三十派 70
恵みの夜 75
鏡と仮面 84
ウンドル 91
疲れた男のユートピア 100
贈賄 111
アベリーノ・アレドンド 121
円盤 129
砂の本 133
後書き 141

・汚辱の世界史
初版 序 148
一九五四年版 序 150
汚辱の世界史 153
恐怖の救済者 ラザラス・モレル 154
真(まこと)とは思えぬ山師 トム・カストロ 166
鄭夫人 女海賊 176
不正調達者 モンク・イーストマン 185
動機なしの殺人者 ビル・ハリガン 196
不作法な式部官 吉良上野介 203
仮面の染物師 メルヴのハキム 211
ばら色の街角の男 221
エトセトラ 237
死後の神学者 239
彫像の部屋 242
夢を見た二人の男の物語 246
お預けをくった魔術師 249
インクの鏡 253
マホメットの代役 258
寛大な敵 260
学問の厳密さについて 262
資料一覧 263



いろいろな短編や散文が収められています
長くないので、気力がないときにもなんとか読めます
ボルヘスの作品が長くないのは
著者の意図的なことだけど・・・

別の短編集『伝奇集』で彼はこういってます

伝奇集 プロローグ p11
 長大な作品を物するのは、数分間で語りつくせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在するとみせかけて、要約や注釈を差しだすことだ。『衣裳哲学』においてカーライルは、また『美しい港』においてバトラーはこの方法をとったが、これらの著作は、やはり書物であるという欠陥を持ち、他の著作におとらず同語反復的である。より論理的で、より無能で、より怠惰な筆者は、架空の書物にかんするノートを書く道をえらんだ。



この短編集の全作品のとっても一部を収録したものがありました
「ボルヘスギャラリー」と自分で名付けていて
本当に断片を切り取ってるので
エッセンスに関係なさそうなのも多いけれど
メインテーマっぽいところだけを切り出すと逆に
細部が伝わらないこともあるからこれはこれでー

▼砂の本
他者 p21
銀の貨幣が弧を描いて、銀色の川波に消え去れば、わたしの物語に生彩あるイメージを添えることになったろう、ところが運命はそううまい具合にゆかなかった。
 超自然なことも、もし二度起これば、もはや恐ろしくはなくなる、と私は答えた。そこで、この、同時に二つの時間と二つの場所とに存在する同じベンチで、翌日、また、会おうと提案した。

ウルリーケ p27
「魔法使いが豚小屋で眠らせてくれるまで夢を見なかった、あの王様みたいね」と、ウルリーケは答えた。
 それから、こうつけ加えた。
「ほら、鳥が歌いはじめるところよ。」

会議 p34
はじめて【会議】のことを耳にしたのがいつだったか、正確には思いだせない。多分、会計から最初の月給をもらって、ブエノスアイレスがわたしを受け入れてくれた、この証しの心祝いに、一緒に飯を食おうとイラーラを誘ったあの時だったろう。彼は、【会議】をさぼることができないからと言って辞退した。

人智の思い及ばぬこと p65
その夕方、わたしは、「カーサ・コロラーダ」の前を通った。

三十派 p74
もうひとつ忌むべきことを書き記そうとして、いま、わたしの手は逆らっている。

恵みの夜 p82
「その晩の大きな河のせいだね」とわしの父が言った。

わしだろうと、他人だろうと、どちらでも同じことだ。」

鏡と仮面 p89
詩人はその詩を誦した。たった一行であった。

「その罪を、今こそ予もそちと分かち合おう」と王はささやいた。「美を知ってしまったという罪、それは人間には禁断の恵みなのじゃ。今

ウンドル p93
私はスカルド(古代スカンジナビアの吟遊詩人)の血筋の者だ。そこで、ウルン族の詩がたったひとつの言葉でできている事実を知っただけで、もうウルン族と、

疲れた男のユートピア p102
コーンフレークスの碗、一房の葡萄、なんだか知らないがその匂いが無花果を思わせる果実、大きな水さし。

贈賄 p113
序文に述べられた仮説のあるものは、秘密結社といってもよい学界に、いささかの物議をかもした。

アベリーノ・アレドンド p127
一団の顕官、軍人、高僧らが、

円盤 p129
手づかみで魚のとれる小川が流れている。

ある日暮時、難渋する足音と、やがて戸をたたく音が聞えた。

砂の本 p138
多分、無限の連続の終極は、

後書き p144
今これを閉ざす人々の、好意にみちた想像力のなかで、その夢想がどこまでも分岐しつづけることを願ってやまない。





で、「砂の本」のことー

これはウィキペディアによると

砂の本(El libro de arena 1975)
表題作『砂の本』は、『バベルの図書館』で言及されている無限のページを持つ本についての作品であり、



とあります
『バベルの図書館』は『伝奇集』に収められた作品です

▼バベルの図書館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8

『バベルの図書館』(バベルのとしょかん)は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』の一編。原題は"La biblioteca de Babel"。

「バベルの図書館」と呼ばれる(主人公は「宇宙」と呼ぶ)その巨大な図書館は中央に巨大な換気孔をもつ六角形の閲覧室の積み重ねで成っている、閲覧室は上下に際限なく同じ部屋が続いており、閲覧室の構成は全て同じである。

閲覧室の壁の内、4つの壁には5段の本棚がそれぞれに設置されており、各段に32冊ずつ本が収納されている。残りの壁はホールに通じており、そのホールを抜けると別の閲覧室の回廊に続いている。ホールには左右に扉があり、それぞれ立ったまま眠る寝室とトイレになっている。また螺旋階段が設置されており、それを使って上下の閲覧室に行くことができる。明かりはランプという名の果実がもたらしている。

司書たちはそこに住み、そこで生涯を終える(死体は換気孔に投げ捨てられる)。彼らのほかに、「捜索係」や「翻訳者」なども存在する。この物語はその図書館の中で一生を過ごした老司書の述懐という形式で述べられている。

この図書館の本には次のような特徴がある

全て同じ大きさの本であり、一冊410ページで構成される。さらにどの本も1ページに40行、1行に80文字という構成である。また本の大半は意味のない文字の羅列である。又、題名が内容と一致しないことが殆どである。
全ての本は22文字のアルファベット(小文字)と文字の区切り(空白)、コンマ、ピリオドの25文字しか使われていない。
同じ本は二冊とない。
それゆえ司書たちはこの図書館は、この25文字で表現可能な全ての組合せを納めていると考えている。

ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の図書館のイメージはここからきているとされ、またその登場人物である図書館長ホルヘはボルヘス自身がモデルであるとされる。



ヽ(´ー`)ノ



▼ひいき作家と作風と繰り返される主題と好みの問題

ちょっと考え事ー

無限や図書館はボルヘスの作品によく登場する題材です

作家にはそれぞれ、何度もあらわれるテーマがあります
その繰り返されるテーマ、主題が
その作家の特徴となり、魅力となります

ただ、すべての繰り返される主題が成功するわけではなく
あるいはひいき作家がいたとして
ひいき作家の手持ちの主題すべてが
ひいきになるわけでもありません

人の好みや興味の対象は千差万別であって
同一人物でない限り、DNAが他人と一致しないのと同じくらい
それは他者と一致することはありません

というわけで最終的には
自分の好みに完全に一致する作品を作る作家が存在するとしたら
それは自分でなるしかない──ということに、、、

なにはともあれ、ボルヘスは好きな作家です
それでも短編集を読むと、以上のようなことを考えます
最初に読む時以外は、
気に入った作風のものしか読まなかったりするけれど

無限や図書館──これらについての作品は好きー
ガウチョとか無法者とかが登場するのは
ボルヘスに特徴的ではあるけれども
好きじゃないー

後者については、
ボルヘスが自らと正反対のものに憧れた
──その作家の個人的感情が反映されている気がして
作品としてのできはどうなのかなと疑問だったり

あるいは、自分が不得手なジャンルに
それを不得手でなくしたいという野心から無理に手出しをしている
──というかんじ?

とりあえずそんなことを時々考えさせられたりするけれど
「砂の本」は好きな作品、いい作品だと思います
ヽ(´ー`)ノ

何はともあれ・・・
ボルヘスは『砂の本』の「後書き」
「砂の本」について次のように語っています

 ふたつの、逆の不可知の物体が、最後の二篇の題材である。「円盤」は、ひとつの面のみを許容するユークリッド的円であり、「砂の本」は、数えきれないページをもつ一巻である。



というわけで読んでいくことにー



砂の本

……なんじの砂の綱……
ジョージ・ハーバート(一五九三-一六二三)

 線は無数の点から成り、平面は無数の線から成る。堆積は無数の平面から成り、超体積は無数の体積から成る……。いや、たしかに、このような「幾何学の法則(モレ・ゲオメトリコ)による」のは、わたしの物語をはじめる最上の方法ではない。これは真実だと主張するのが、いまや、あらゆる架空の物語の慣例である。しかしながら、わたしの話は、本当に本当なのである。
 わたしは現在、ひとりで、ブエノスアイレスのベルグラーノ通りの、アパートの四階に住んでいる。数ヶ月前になろうか、ある日暮れ方、戸口をたたく音が聞えた。あけると、見知らぬ人がはいってきた。背の高い男で、目鼻立ちは判然としなかった。そう見えたのは多分、わたしの近眼のせいだろう。全体の様子は、実直な貧乏人というところだった。ねずみ色の服を着て、手にはねずみ色のスーツケースをさげている。外国人だとすぐに分った。最初は老人だと思った。が、やがて、スカンジナビア人特有の、ほとんど白に近いブロンドの薄い髪のせいで、見違えたことに気づいた。一時間足らずの会話の間に、彼はオークニー諸島(スコットランド北部)の出だと分った。
 彼に椅子をすすめた。その男は、しばらく間をおいてから話しだした。彼の身辺には、いまのわたしと同じように、憂愁の気がたちこめていた。
「聖書を売っています」と彼は言った。
 いささかの衒学趣味をこめて、わたしは答えた。
「うちにも、英語の聖書なら何冊かある、最初の、ジョン・ウィクリフ訳(イギリスの宗教改革家の英訳聖書。一三七八年)もね。また、シプリアーノ・デ・バレラ訳(不詳。スペイン語訳か)もあるし、ルター訳、これは文学的には最低だがね、それから、標準ラテン語訳のヴルガタ聖書(四世紀、ヒエロニムス訳で、一四五五年世界最初の印刷本となる)もある。ごらんのとおり、はっきり言って聖書はこれ以上必要としないんだよ。」
 ちょっと沈黙した末に、彼は答えた。
「聖書だけを売っているわけではないのです。ある神聖な本をお目にかけられるんですが、多分お気に召すと思いますよ。ビカネール(インド西部、タール砂漠のオアシス都市)の郊外で手に入れたんですがね。」
 彼はスーツケースをあけると、それをテーブルのうえに置いた。布製の八折り判の本だった。多くの人の手を経てきたものであることは疑いない。仔細にあらためてみる。と、まずその異常な重さに驚いた。背には、「聖書(ホーリー・リット)」、そして下に「ボンベイ」とあった。
「十九世紀だろうな」とわたしは言った。
「さあ、どうしても分からないんですよ」という返事だった。
 わたしは何気なくその本を開いた。知らない文字だった。粗末な印字の、古びた頁は、聖書によく見られるように二列に印刷されていた。テクストはぎっしりつまっており、一節ごとに区切られているページの上の隅には、アラビヤ数字がうってあった。偶数ページに(たとえば)四〇五一四という数字があるとすると、次のページは九九九になっているのが、わたしの注意を引いた。ページをめくってみる。裏面には、八桁の数字がならぶ番号がうたれていた。よく辞書に使われるような小さな挿絵があった。子供がかいたような、まずいペンがきの錨だった。
 見知らぬ男がこう言ったのはその時だ。
「それをよくごらんなさい。もう二度と見られませんよ。」
 声にではないが、その断言の仕方には一種の脅迫があった。その場所をよく心にとめて、わたしは本を閉じた。すぐさま、また本を開いた。一枚一枚、あの錨の絵を探したが、だめだった。狼狽をかくすためにわたしは言った。
「これはいずれヒンドスターニー語訳の聖書ですな、ちがいますか?」
「ちがいます」と彼は答えた。
 それから、秘密を打ち明けるように声をおとした。
「わたしは、平原の村で、数ルピーと一冊の聖書と引きかえに、それを手に入れたのです。持ち主は、読み方を知りませんでした。察するところ、『本の中の本』(聖書)を一種の護符だと思っていたんでしょうな。彼は最下級のカーストでした。その男の影を踏んだだけでも、汚れることまちがいなしというやつなんです。彼が言うには、この本は『砂の本』というのです。砂と同じくその本にも、はじめもなければ終りもない、というわけです。」
 彼は、最初のページを探してごらんなさいと言った。
 左手を本の表紙の上にのせ、親指を目次につけるように差し挟んで、ぱっと開いた。全く無益だった。何度やっても、表紙と指のあいだには、何枚ものページがはさまってしまう。まるで、本からページがどんどん湧き出てくるようだ。
「では、最後のページを見つけて下さい。」
 やはりだめだった。わたしは、自分のものとも思われぬ声で、こう言いよどむのがやっとだった。
「こんなことがあるはずはない。」
 相変わらず低い声で、聖書の売人は言った。
「あるはずがない、しかしある(・・)のです。この本のページは、まさしく無限です。どのページも最初ではなく、また、最後でもない。なぜこんなでたらめの数字がうたれているのか分らない。多分、無限の連続の終極は、いかなる数でもありうることを、悟らせるためなのでしょう。
 それから、あたかも心中の考えごとを口にのぼせるように、
「もし空間が無限であるなら、われわれは、空間のいかなる地点にも存在する。もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する。」
 彼の思考はわたしをいらだたせた。彼にきいてみた。
「もちろんあなたは信仰をおもちでしょうな。」
「ええ。長老会派(プレスビテリアン)です。良心にやましいところはありません。悪魔の本と引きかえに、『主の御言葉』(聖書)を与えたからといって、あの原住民をだましたことにはならないと確信しています。」
 わたしも彼に、なにも自分を責めることはないとうけ合った。そして、こちらを旅行中なのかとたずねた。数日中に故国へ帰るつもりだ、と彼は答えた。彼がオークニー諸島出のスコットランド人だと知ったのはこのときだった。スティーヴンスンとヒュームが好きだから、スコットランドには個人的愛情を抱いていると、わたしは言った。
「それと、ロビー・バーンズのために、でしょう」と彼は訂正した。
 話をしながら、わたしはその無限の本を調べつづけた。無関心をよそおいつつきいた。
「君はこの珍本を大英博物館に提供するつもりでしょうな?」
「いいえ、あなたに提供するつもりです」と答え、彼はかなりの高額を提示した。
 わたしは、本心から、その金額ではとても手が届かないと答えたが、なおも考えこんでいた。数分後、計画を思いついた。
「交換というのは、どうだろう」とわたしは言った。「君は、数ルピーと聖書と引きかえにこの本を手に入れた。わたしは、受けとったばかりの恩給の総額と、ゴチック文字版ウィクリフ訳聖書を提供しよう。先祖伝来の宝物だ。」
「ゴチックのウィクリフ!」と彼はつぶやいた。
 わたしは寝室へ行き、金と本をもってきた。彼はページをくり、いかにも愛書家らしい熱心さで扉を調べた。
「きまった」と、彼は言った。
 彼が値切らなかったので、わたしはおどろいた。この家に入ってきたときから、彼はその本を売る決心だったと分ったのは、後のまつりになってからだ。札を数えもせずに、彼はそれをしまった。
 われわれは、インドのこと、オークニー諸島のこと、かつてそこを治めていたノルウェーの族長(ジャール)たちのことを話した。その男が帰ったときは、もう夜になっていた。その後二度と彼には会わないし、彼の名前も知らない。
「砂の本」は、もとウィクリフのあった場所にしまおうと考えたが、結局、半端物の『千夜一夜物語』のうしろにかくすことにした。
 床についたが、眠れなかった。夜明けの三時か四時に、明りをつけた。例のありうべからざる本を取りだし、ページをくった。あるページに、ひとつの面が刻みこまれているのをみつけた。隅には、もういくつか忘れたが、九乗した数がうってあった。
 わたしは、わたしの宝物をだれにも見せなかった。所有の幸福のほかに、盗まれるという恐怖、それに、本当に無限ではないのではないかという危惧があったからだ。このふたつの心配が、年来の人ぎらいを強めることになった。わたしには数人の友人しか残っていない。その友人にも会うのをやめた。結局、わたしはその本のとりこ(・・・)となって、ほとんど家から出なかった。虫眼鏡で、すり切れた背や表紙を調べ、どんな仕掛けもなさそうだということが分った。小さな挿絵が、二千ページもはなれているのをたしかめた。それをアルファベット順にノートに書きつけていったが、ノートはすぐに一杯になった。それらは一度も重複することがなかった。夜は、不眠症の許すわずかの合間に、本を夢みた。
 夏が過ぎ去る頃、その本は怪物だと気づいた。それを両眼で知覚し、爪ともども十本の指で触知しているこのわたしも、劣らず怪物じみているのだと考えたが、どうにもならなかった。それは悪夢の産物、真実を傷つけ、おとしめる淫らな実体だと感じられた。
 わたしは火を考えた。だが、無限の本を燃やせば、同じく無限の火となり、地球を煙で窒息させるのではないかと惧れた。
 一枚の葉をかくすに最上の場所は森であると、どこかで読んだのを、わたしは思いだした。退職するまえ、わたしはメキシコ通りの国立図書館に勤めていて、そこには九十万冊の本があった。玄関ホールの右手に螺旋階段が地下に通じていて、地下には、定期刊行物と地図があった。館員の不注意につけこんで、「砂の本」を、湿った棚のひとつにかくした。戸口からどれだけの高さで、どれだけの距離か、わたしは注意しないように努めた。
 これで少しは気が楽になった。しかし、いま、わたしはメキシコ通りを通るのもいやだ。

※文字装飾は読書メモ





ボルヘスについて最近他にもブログに書いたような
と思ったけど発見できず・・・

違うブログ(ゲームの)にあったのでここー

恐竜土偶と『ワープする宇宙』とボルヘスについて書いていて
なんかよくわからない取り合わせ・・・

『伝奇集』「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」他
 http://kuzukiriz.blog111.fc2.com/blog-entry-77.html

昔書いたのはここー

『永遠の歴史』
 http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-8.html





おまけ・・・

パソコンを使い始めてからもうずいぶんとたちました
古いファイルはそれなりに
ハードディスクの片隅に残っていたりします
もちろん、パソコンやハードディスク自体は
いくつも変わってきたけれど
案外、古いものを処分するほうが手間がかかるので(取捨選択するなら)
昔のままでいつまでも残っていたり・・・
私がパソコンを使い始めたのは
一太郎専用機だったのが大学の卒論を書いた頃
これはほぼワープロとかわらなかったけど
そのあとウィンドウズ3.1だっけ?
それからウィンドウズ95
10年以上は使っているわけだけど
今日発掘したこれは、2000年の日付
そんなに遠くないようだけど、もう7年前かー

ヽ(´ー`)ノ

読書関連のブログも記事が増えてくるなら
もう少し整理整頓すべきかな?
でも読書だけのブログでもないし、まいっか・・・

他のブログとのかねあいとかもあるし



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