kuzukiria_blog(文学的)

読書とか、いろいろなお勉強(byウィキペディア)とか、文章(文学、芸術、哲学)とか・・・


2017-04

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『花鏡』~世阿弥の能楽論を読む

『日本古典文学全集 連歌論集・能楽論集・俳論集』
をひっぱりだしてぱらぱらしてみました
というわけでぼちぼち読んでいくことにー


私が持ってるのはもう絶版のようで今は新編がでてるようです

連歌論集・能楽論集・俳論集 (新編 日本古典文学全集) 連歌論集・能楽論集・俳論集 (新編 日本古典文学全集)
奥田 勲、 他 (2001/08)
小学館

この商品の詳細を見る



どれも魅力的ですがとりあえず『花鏡』(かきょう)を読むことにー

まずは『花鏡』についてです
解題から引用します

▼『花鏡』について
稽古の標語をそのまま表題に掲げたらしい首部の題目六か条と、
「奥の段」以外は「…事」と題した事書十二か条の、計十八条から成る。

世阿弥奥書に、
『花伝』が亡父の教えの祖述であるのに対し、
『花鏡』一巻は四十有余から老後に至るまでの自己の芸得を書き連ねたもの
である由を明言しており、



ヽ(´ー`)ノ

では題目六ヶ条をみていくことにします

(凡例)
六ヶ条の題目のは、「 」でくくって分かりやすくしました
※は註で(かっこ)は下段にある翻訳です
読みやすさのために適宜改行をいれて
空行は基本的に、省略を表します


▼題目六ヶ条

「一調 二機 三声」
 (いつてう にき さんせい)

「動十分心 動七分身」
 (どうじふぶんしん どうしちぶんしん)

「心を十分に動かして身を七分に動かせ」とは、

心よりは身を惜しみて立ちはたらけば、
身は体(たい)になり、心は用(ゆう)になりて、
面白き感あるべし。

 ※体、用──主、従

「強身動宥足踏 強足踏宥身動」
 (がうしんどういうそくたふ がうそくたふいうしんどう)

(つよくみをうごかせばゆるくあしをふみ、
 つよくあしをふめばゆるくみをうごかす)

足を強く踏む時、身を静かに動かせば、
足音は高けれども、身の静かなるによりて、
荒くは見えぬなり。
これすなはち、
見聞同心(けんもんどうしん)ならぬ所、
両体和合になりて、面白き感あり。

(目に見るところと耳に聞くところが同じ感じではないやり方で、
両者が調和して、面白い感動が生まれるわけだ。)

「先聞後見」
 (せんもんごけん)

一切の物まね風体(ふうてい)は、言ひ事の品によりての見聞なり。

(すべての物まね演義は、謡の文言の内容に即して見せたり聞かせたりするもので、
文句が優先すべきだ。)

たとへば、泣くといふ事には、「泣く」と言ふ言葉を人に聞かせて、
その言葉より少し後るるやうに、
袖を顔にあてつれば、
風情にて止まるなり。
「泣く」と聞きも定めぬより、袖を顔にあつれば、
言葉が後れて残るゆゑに、
言葉にて止まるなり。
さるほどに、風情が先に果てて、はぐるる気色あり。
しかれば、風情にて止まるべきがゆゑに、
「先づ聞かせて後(のち)に見せよ」となり。

「先能其物成 去能其態似」
 (まづよくそのものになり さてよくそのわざをにせよ)

「舞声為根」
 (まひはこゑをねとす)

しかれば、時の調子といっぱ、

舞に五智あり。

また、舞に、目前心後(もくぜんしんご)といふ事あり。
「目を前に見て、心を後(うしろ)に置け」となり。

見所(けんじょ)より見る所の風姿は、我が離見(りけん)なり。
しかれば、我が眼の見る所は、我見(がけん)なり。
離見の見にはあらず。
離見の見にて見る所は、すなはち見所同心(けんじょどうしん)の見なり。
その時は、我が姿を見得するなり。
我が姿を見得すれば、左右前後を見るなり。
しかれども目前左右までをば見れども、
後姿をばいまだ知らぬか。
後姿を覚えねば、姿の俗(しょく)なる所をわきまへず。

これすなはち、「心を後に置く」にてあらずや。
かへすがへす、離見の見をよくよく見得して、

※離見──よそからの見方。我が離見で自分の目を離れた認識の意。
※「離見の見」が主観を離れた客観的な見方(認識)のこと。



ヽ(´ー`)ノ

六ヶ条はこんな感じです
専門的、技術的すぎてあんまり興味を覚えないところもあるけれども
離見の見とか、示唆的なところも多いです



「題目」につづいて「事書」の箇所をみていきます
内容的に引用がないのは「…事」のところだけ
とりあえず収録して後で調べるときにでもー

「時節当感事」
 (じせつかんにあたること)
「序破急之事」
 (じょはきゅうのこと)
「知習道事」
 (しゆだうをしること)
 転読(てんどく)
「上手之知感事」
 (かんをしる)
「浅深之事」
 (せんじん)

まづ、細かなるべき所をばいかにも細やけて、
大様(おほやう)なるべき所をば大様にすべきかなり。
この分け目、ことにことに能を知らではかなふべからず。

心を細かにして、身を大様にすべし。
よくよく心にかけて、定心(ぢやうしん)に持つべし。

そうじて、能は、大きなる形木より入りたる能は、
細かなる方(かた)へも行くべし。
小さき形木より育ちたる能は、
大きなる方へは左右なく行くまじきなり。
大の内には小あり。小の内には大なし。

「幽玄之入堺事」
 (さかひにいる)

幽玄の風体の事。諸道・諸事において、
幽玄なるを以て上果(じやうくわ)とせり。
ことさら、当芸において、
幽玄の風体第一とせり。

※俊成以後、あらゆる分野で幽玄美が理想とさrていた
※上果──理想美。理想的な境地・芸風の意に、以後世阿弥が多用する語。

ただ美しく柔和なる体(てい)、幽玄の本体なり。

※優美・柔和を幽玄の本体とするのは……世阿弥当時の世間一般の認識であり、俊成時代の歌道の幽玄が余情を伴う閑雅な趣であるのとは、かなり違っている。

言葉の幽玄

鬼の幽玄

何の物まねに品を変へてなるとも、
幽玄をば離るべからず。
たとへば、上らふ・下らふ、男・女・僧・俗・田夫・野人・乞食・非人に至るまで、
花の枝を一房づつかざしたらんを、
おしなべて見んがごとし。
その人の品々は変るとも、
美しの花やと見ん事は、みな同じ花なるべし。

物まねは変るとも、美しく見ゆる一かかりを持つ事、
幽玄の種と知るべし。

ただ、ややもすれば、その物その物の物まねばかりを
し分けたるを至極と心得て、姿を忘るるゆゑに、
左右(さう)なく幽玄の堺に入らず。

(物まねの対象ごとにそれらしく演じ分けるだけで、最上の段階と思いこみ、
姿の美しさを忘れているから、容易には幽玄の境地へ入れないのである)

品々の物まねに至るまで、
姿美しくば、いづれも上果なるべし。
姿悪くば、いづれも俗(しょく)なるべし。
見る姿の数々、聞く姿の数々の、
おしなめて美しからんを以て、幽玄と知るべし。

「功之入用心之事」

「万能綰一心事」
 (まんのうをいつしんにつなぐ)

見所の批判に云はく、「せぬ所が面白き」など言ふ事あり。

このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは、
油断なく心を綰(つな)ぐ性根なり。

あらゆる品々の隙々に、心を捨てずして、用心を持つ内心なり。

※内心──心の内に秘めた心遣い。心底での配慮。

「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落々磊々」
 (しやうじこらい ほうとうのくわいらい いつせんたゆるとき らくらくらいらい)

※月庵宗光の『月庵和尚法語』に見える偈文。

申楽も、色々の物まねは作り物なり。これを持つ物は心なり。
この心をば、人に見ゆべからず。
もしもし見えば、操りの糸の見えんがごとし。
かへすがへす、心を糸にして、
人に知らせずして、万能を綰ぐべし。

「妙所之事」

「批判之事」
見より出で来る能

聞より出で来る能

田舎目利きなどは、さほどとも思はぬなり。

心より出で来る能

これを冷えたる曲とも申すなり。

※冷えたる曲──「文」(美)を内に蔵しながら表面は枯淡で洗練されきった芸曲。世阿弥は『九位』でも上花の芸境を雪で象徴し、上花の為手が却来して演じる強細風を「冷えたる曲風」と形容している。

これを、心(しん)より出で来る能とも言ひ、
無心の能とも、または無文の能とも申すなり。

「音習道之事」
 (おんしゆだう)

「奥の段」

しかれば、当流に万能一徳の一句あり。
  初心不可忘。
  (しょしんわするべからず)
この句、三ヶ条の口伝あり。
  是非初心不可忘。
   (ぜひ)
  時々初心不可忘。
   (ときとき)
  老後初心不可忘。
この三つ、よくよく口伝すべし。
一、是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして身に持ちてあれば、
老後にさまざまの徳あり。
「前々の非を知るを、後々の是とす」と言へり。
 (ぜんぜん ごご)

一、時々の初心を忘るべからずとは、
これは、初心より、年盛りの頃、老後に至るまで、
その自分自分の芸曲の、似合ひたる風体をたしなみしは、
時々の初心なり。
されば、その時々の風儀をし捨てし捨て忘るれば、
今の当体の風儀をならでは身に持たず。
過ぎし方の一体一体を、
今当芸にみな一能曲に持てば、
十体(じつてい)にわたりて、能数尽きず。
その時々にありし風体は、時々の初心なり。
それを当芸に一度に持つは、時々の初心を忘れぬにてはなしや。

一、老後の初心を忘るべからずとは、
命には終りあり、能には果てあるべからず。



ヽ(´ー`)ノ

初心忘るべからず──はとても有名です
『風姿花伝』にも出てくる言葉ですが『花鏡』にもでてきます

「過ぎし方の一体一体を、今当芸にみな一能曲に持てば、
十体(じつてい)にわたりて、能数尽きず。」

(以前に習得した一つ一つの風体を忘れずに保持し、
 今の我身の芸に揃えて持っていれば、
 すべての風体に行きわたり、能数は無尽蔵である)

初心忘るべからずにはいろいろな種類があるようですが
この、「時々の初心」のもなるほどという感じです

とりあえずこんなかんじー

後は世阿弥のウィキペディアでも

▼世阿弥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5

世阿弥(ぜあみ、せあみ(改称前)世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は日本の室町時代初期の猿楽師。

父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

幼名は鬼夜叉、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。父の死後、観世大夫を継ぐ。40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。ちなみに世は観世に由来)である世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。

生涯
世阿弥が生まれたとき父である観阿弥は31歳で、大和猿楽の有力な役者であった。世阿弥の母については、近年発見された文書により「播磨国揖保庄の永富左衛門六郎の娘」という説もあるが不詳。観阿弥がひきいる一座は興福寺の庇護を受けていたが京都へ進出し、醍醐寺の7日間興行などで名をとどろかせた。世阿弥は幼少のころから父の一座に出演していた。

1374年または1375年、観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまった。以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになった。1378年の祇園会では将軍義満の桟敷に世阿弥が近侍し、公家の批判をあびている。1384年に観阿弥が没して世阿弥は観世太夫を継ぐ。

当時の貴族・武家社会には、幽玄を尊ぶ気風があった。世阿弥は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていったと考えられる。一般に猿楽者の教養は低いものだったが、世阿弥は将軍や貴族の保護を受け、教養を身に付けていた。特に摂政二条良基には連歌を習い、これは後々世阿弥の書く能や能芸論に影響を及ぼしている。

義満の死後、将軍が足利義持の代になっても、世阿弥はさらに猿楽を深化させていった。『風姿花伝』(1400年ごろ成立か)『至花道』が著されたのもこのころである。義持は猿楽よりも田楽好みであったため、義満のころほどは恩恵を受けられなくなる。

義持が没し足利義教の代になると弾圧が加えられるようになる。1422年、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、自身は出家した。しかし将軍足利義教は、元雅の従兄弟にあたる観世三郎元重(音阿弥)を重用。仙洞御所への出入り禁止(1429年)、醍醐清滝宮の楽頭職罷免(1430年)など、世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われていった。

1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死してしまう。世阿弥自身も1434年に佐渡国に流された。1436年(永享8年)には『金島書』を著すが、その後の消息はよく分かっていない。このころには禅宗の補巌寺に帰依していたもようである。後に帰洛したとも伝えられる。『観世小次郎画像賛』によれば嘉吉三年(1443年)に没したことになっている。


[編集] 業績
世阿弥の作品とされるものには『高砂』『井筒』『実盛』など50曲近くがあり、現在も能舞台で上演されている。また、『風姿花伝』などの芸論も史料価値だけではなく、文学的価値も高いとされている。


[編集] 芸道論
著書『風姿花伝』(『風姿華傳』、『花伝書』)では、観客に感動を与える力を「花」として表現している。少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は心の工夫公案から生まれると説く。 「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」として『風姿花伝』の内容は長らく秘伝とされてきた。


[編集] 代表作
ウィキクォートに世阿弥に関する引用句集があります。世阿弥は数多くの謡曲を残している。謡曲とは、能における節と詞(ことば)、または能の脚本(謡本)そのものを指す。

弓八幡
高砂
老松
実盛
頼政(平家物語)
忠度(平家物語)
清経(平家物語)
敦盛(平家物語)
八島(平家物語)
井筒(伊勢物語)
恋重荷
錦木

葵上(あおいのうえ:源氏物語)

当麻
野守(万葉集の歌が典拠)
鍾馗
鵺(ぬえ:平家物語)
桜川
花筐(はながたみ)
葦刈(あしかり)
春栄
西行桜(さいぎょうざくら)



ヽ(´ー`)ノ

そういえば世阿弥の能楽論、
卒論書くためにいろいろ読んだ痕跡が残ってました
なんとなくなつかしかったり・・・



 | HOME | 

FC2Ad

 

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

[ベケットギャラリー]

(ベケットの戯曲の抜粋ランダム)

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー

全ての記事を表示

→全ての記事を表示

最近の記事

『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと⑤
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと④(読書法のこと)
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと③
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと②
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと①
ipodが壊れて買ったにっき
老子の読書めも②
リヴァイアサン読書メモ2(感覚、造影について)
贈り物には羊羹・贈り物には羊羹・贈り物には羊羹
氷が手に着くのは何でなのかな
ラジオのジャズのこと
リヴァイアサン読書めも1

ブログ内検索

Lc.ツリータグリスト

カウンター

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。