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2017-10

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「ハロウィン」~ケルトとカボチャ

今日、10月31日はハロウィンです
クリスマスとかに比べれば日本ではあんまりなじみはないけれど
カボチャ販促祭のようなイメージも持っていたけれど
せっかくなのでハロウィンについて調べてみることにー


ハロウィンといってカボチャ味がでまわるから
それがあんまり好きでなかったり・・・
ビアード・パパのシュークリームも今月カボチャで
  http://www.muginoho.com/brand/beard/
今日20%オフ(たしか)とかなってたけどいらない、、、

というわけでウィキペディア

▼ハロウィン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3

ハロウィーン (Halloween) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる、英語圏の伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。

ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。

家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もある。墓地全体が、大きなランタンのように明々と輝く。日本のお盆の迎え火、送り火にも似ているかもしれない。ただ、これに合わせて欧米では、放火事件などが頻発する。

これに因み、31日の夜、蕪をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」(お化け蕪)を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が「トリック・オア・トリート(Trick or treat. お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。家庭では、蕪の菓子を作り、子供達は貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。


カボチャ

巨大かぼちゃハロウィーンのテーマは不気味なものや怖ろしいもので、特に、死、アンデッド、黒魔術や神話の怪物などが含まれる。ハロウィーンに関連する登場人物には、幽霊、魔女、コウモリ、黒猫、ゴブリン、バンシー、ゾンビ、魔神、それにドラキュラやフランケンシュタインの怪物のような文学作品上の登場人物が一般的に含まれる。ハロウィーン前後の時期には、これらのシンボルで家を飾る。

黒とオレンジ色が伝統的なハロウィーンの色である。「ジャック・オー・ランタン(Jack-O'-lantern)」(お化け蕪、蕪ちょうちん)は、白色のをくりぬき、刻み目を入れ、内側からろうそくで照らしたもので、最もハロウィーンらしいシンボルである。英国とアイルランドでは、今なおカブを使っているが、アメリカへの移民たちは、刻みやすいカボチャを、移民早期から使っている。ハロウィーンを祝う家庭では、カボチャを刻んで怖い顔や滑稽な顔を作り、悪い霊を怖がらせて追い払うため、ハロウィーンの晩、家の戸口の上り段に置く。


[編集] 文化史

[編集] ケルトのサウィン祭
古代ケルトのドルイド教では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭であった。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。したがって、この収穫祭は毎年10月31日の夜に始まった。アイルランドと英国のドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。

11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー(Sith)」と呼ばれる。女の妖精はバンシーと呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。

祭典ではかがり火が大きな役割を演じた。村民たちは、屠殺した牛の骨を炎の上に投げ込んだ。(「かがり火」を"bonfire"と呼ぶのは、これらの「骨火」に由来すると思われる。) かがり火が燃え上がると、村人たちは他のすべての火を消した。その後、各家族は厳粛にこの共通の炎から炉床に火をつけた。これにより、村の各家族は一つにつながった。アイルランドでは今でも、毎年ハロウィーンの夜には何百もの火が点けられている。

新異教主義者(Neopagans)は、今でもハロウィーンの日には、世俗的なハロウィンに参加するとともに、サウェン祭を祝っている。


[編集] ハロウィンの習慣
ハロウィンの習慣は、イングランド南部では、17世紀以降、11月5日の火薬陰謀事件の記念日(ガイ・フォークス・デイ)に置き換わり、廃れた。しかしながら、スコットランドおよびイングランド北部においては広く普及したままであった。イングランド南部で、すっかり米国風のハロウィーンになったとはいえ、再び普及したのは、この10年間だけである。

アイルランドでは10月最後の月曜が祝日となっており、ハロウィンを祝う習慣が最も純粋な形で残っている。この祝日に続く週は、学期の半ばであるがすべての学校が休みになり、一般にハロウィーン休みと呼ばれる。この結果、アイルランドは、ハロウィンの日に子供の学校がなく、したがって、古代の由緒ある方法で無条件にハロウィンを祝うことのできる唯一の国である。

「トリック・オア・トリート(Trick or Treat)」の習慣は、クリスマスの時期の酒宴 (古い英語で wassailing と呼ばれる) の習慣に似た、soulingと呼ばれるヨーロッパの習慣から発展したと思われる。11月2日の死者の日に、キリスト教徒は「魂のケーキ」(soul cake) ――干しぶどう入りの四角いパン――を乞いながら、村から村へと歩いた。物乞いをするときには、亡くなった親類の霊魂の天国への道を助けるためのお祈りをすると約束した。魂のケーキの分配は、サウィン祭のとき徘徊する幽霊に食べ物とワインを残す古代の風習に代わるものとして、キリスト教会によって奨励された。

ブルターニュ西部のケルト族の一部では、サウェン祭は、今でも「小さな角 (Kornigou) 」を焼くことにより予告される。「小さな角」は、あの世の王国へ戻るときに角を落とす冬の神を記念するため、枝角の形に焼かれたケーキである。

日本では夏がお化けの季節となっているが、北米ではハロウィーンの時期が幽霊などの季節となっている。そこでこのハロウィーンが近づくとホラー映画の公開やTVでの放送が多くなる。


[編集] ジャックオーランタンの話
その昔ウィルという、口は巧いが卑怯で素行も最悪な鍛冶屋の男がいた。彼は死後に死者の門へ着いたのだが、そこで聖ペテロ(天国へ行くか地獄へ行くかを選定する者)を騙し、 生き返った。しかし生き返った後も反省はせず、前の通り最悪な男のままだった。そのため、再び死後に死者の門を訪れた際、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と言われ、暗い闇の中を漂うこととなった。それを見て哀れんだ悪魔は、地獄の劫火から轟々と燃える石炭を一つ取り、ウィルに明かりとして渡した。その明かりは時々、現世に種火のような弱い光を投げかける。それから、夜中に不思議な光が見えるとき、哀れなウィルの話になぞらえて「種火のウィル」「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」と呼ぶようになった。ジャック(男・一般的な男性の名前)の角燈「ジャックオーランタン」ともよばれている。現在は、ナイトメアー・ビフォア・クリスマス等の影響でこちらの方が有名。多種多様な話・呼び名があるが、各教会ごとに脚色したり、本として出版するときに話が増えたのだろう。世界中にも不思議な光の話がある。



ヽ(´ー`)ノ

ハロウィンはアメリカとかの文化かと思っていたけれど
ルーツはケルトだということがわかりました
ケルトの文化や神話とかはとても興味深いです

家には本がいまいち見当たらない(あったとしても行方不明)ので
今度探してみたいと思ったり

まずは調べ物つづきー

▼ジャックランタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%B3

ウィキペディアより



ジャックランタンジャックランタン(Jack-o'-Lantern ジャック・オ・ランターン)は、イングランドに伝わる鬼火のような存在。名前は"ランタン持ちの男"の意。普通の火の玉の姿の他、光る衣装を身に纏うカボチャ頭の男の姿であらわれる事もある。

生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にしたカブのランタンを片手に彷徨っている姿だとされている(→ウィルオウィスプ)。また、悪賢い農夫が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国への入園を拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だともされている。 この話がアメリカに伝わったのち、カブのランタンは、カボチャのランタンに変化して現在に至っている。この他、毎年10月31日のハロウィンの日に作るカボチャのロウソク立てをジャックランタンと呼び、善霊を引き寄せ、悪霊達を遠ざける効果があるといわれている。

旅人を迷わせずに道案内をする事もあるという。



おもしろいお話ーヽ(´ー`)ノ

ケルトは楽しい話がいっぱいあります
クーフーリンとかゲイボルグとか(大航海時代onlineの冒険クエとか)
それについてはまたいずれ、ということで
ケルト人についてまずは調べてみることに




ケルト人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA

ケルト人(ケルトじん、the Celts)は中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。古代ローマ人からはガリア人とも呼ばれていたが、「ケルト人」と「ガリア人」は必ずしも同義ではなく、ガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した人々のみが「ガリア人」なのだとも考えられる。ブリテン諸島のアイルランド、スコットランド、ウェールズ、コーンウォル、コーンウォルから移住したブルターニュのブルトン人などにその民族と言語が現存している。 現在のケルトという言葉は言語・文化の区分を示すための近現代になってから作られた用語であり、古代~中世において右図で表されている地域の住民が「ケルト人」として一体的な民族意識を持っていたとは考えられていない。そのため歴史学などでは「ケルト人(Celts)」という言葉は使わず、「ケルト系(Celtic)」という言葉を便宜的に使っている。

[編集] 大陸のケルト
ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文明(紀元前1200年~紀元前500年)を発展させた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャやエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット鉄器文明はラ・テーヌ鉄器文明(紀元前500年~紀元前200年)に発展する。

ケルトの社会は鋭利な鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立した。彼らは南欧の文明社会としきりに交易を行い、その武力によって傭兵として雇われることもあり、ギリシャ・ローマの文献に記録が残されている。紀元前400年頃にはマケドニアの金貨に影響されて、各地でケルト金貨を製造するようになった。また、ケルト人の一部はバルカン半島へ進出し、マケドニア、テッサリアなどを征服。ギリシャ人は彼らをガラティア人と呼んだ。紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻した。

やがて紀元前1世紀頃に入ると、各地のケルト人は他民族の支配下に入るようになる。ゲルマン人の圧迫を受けたケルト人は、西のフランスやスペインに移動し、紀元前1世紀にはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服される。カエサルの『ガリア戦記』はガリア(ゴール)のケルト社会に関する貴重な文献である。やがて500年にわたってローマ帝国の支配を受けたガリアのケルト人(フランス語ではゴール人)は俗ラテン語を話すようになり、ローマ文化を受け入れて、中世にはゲルマン系のフランク人と融合してフランス人に変質していく。


[編集] 島のケルト
ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、通説では鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされるが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。

西暦1世紀にイングランドとウェールズはローマの支配を受け、この地方のケルト人はローマ化するが、5世紀にゲルマン人がガリアに侵入すると、ローマ帝国はブリタンニアの支配を放棄し、ローマ軍団を大陸に引き上げた。この間隙を突いてアングロ・サクソン人が海を渡ってイングランドに侵入し、アングロサクソンの支配の下でローマ文明は忘れ去られた。

しかし、同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロサクソンの征服が及ばず、ケルトの言語が残存した。スコットランドやアイルランドはもともとローマの支配すら受けなかった地域である。またイングランド西端、コーンウォールのケルト人はアングロサクソンの圧迫を受け、海を渡ってブルターニュ(当時、ローマ領アルモリカ)に移住、ブルトン人となった。


[編集] ケルトと宗教
ブリテン島のケルト人の間では、4世紀にはキリスト教が根づいた。5世紀になると、アングロ・サクソンなどのゲルマン人が侵入したせいで、ケルト人キリスト教徒はウェールズやコーンウォルに移った。その後、バイキングの侵入やノルマン・コンクエストの影響で、ケルト人キリスト教はしだいに衰退していった。

アイルランドでは、6世紀末~8世紀初めに、ゲルマン人をキリスト教化する方針が取られた。アイルランドでのケルト・キリスト教は、9~10世紀のバイキングの侵入によって衰退した。

ケルト・キリスト教独特の制度は、12世紀までにヨーロッパからほとんど姿を消した。


[編集] ケルトの文化
当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。 彼らは、その教えを文字にする事は正しくないと考え、口承で伝えたので、全てを暗記するには二十年もかかった者もいた、といわれている。それ以外の記録の為には、ギリシア文字を借用していた。

後にギリシア語やラテン語を参照にして、ケルト人独自のオガム文字が生まれた。しかし後世に、ケルト人がキリスト教化すると、これはラテン文字に取って代わられた。

キリスト教化したあとも、ケルト人独特の文化はまったく消滅したわけではない。現代でもウェールズやスコットランドやアイルランドには、イングランドとは異なる独自の文化がいくらか残っている。(各項を参照。)


[編集] 現代のケルト人とケルト系諸言語

暗緑色の部分は現在ケルト語派の言語が話されている地域であり、緑色の部分は一般に「ケルト系の居住地」と認識されている地域である。その他薄緑色の部分は、過去ケルト人が居住していたことのある地域である。現代におけるいわゆる「ケルト人」とは、残存するケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュの人々である(これにコーンウォールを加えることもある)。しかし、その5ヶ国の人々の中で、まだケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えない。またアイルランド以外のケルト人の国は、より大きい異民族の国家に併合された上、本来の母語の話者が次第に減少していった。

しかし近年、様々なケルト語再生運動がそれらの言語の衰退を止めることを目的として行われている。この再生運動の有効例として、ウェールズにおいてウェールズ語を教える学校が政府から公金を受け、その学校数が増えて来たということが挙げられる。

またエンヤの楽曲やリバーダンスなどは世界的に高い評価を受けている。

現存するケルト語派の言語は:

アイルランド語(母語人数:〜30,000人;よく話せる人数:〜100,000人)
スコットランド・ゲール語(母語人数:〜45,000人)
ウェールズ語(母語人数:〜200,000人)
マン島語
コーンウォール語
ブルトン語(母語人数:〜750,000人)



ヽ(´ー`)ノ



最後にカボチャ・・・

▼カボチャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%9C%E3%83%81%E3%83%A3

カボチャ
分類
界 : 植物界 Plantae
門 : 被子植物門 Magnoliophyta
綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目 : スミレ目 Violales
科 : ウリ科 Cucurbitaceae
属 : カボチャ属 Cucurbita

和名 カボチャ(南瓜)
種 本文参照

カボチャの花カボチャ(南瓜、英名: Pumpkin 、Squash )は、ウリ科カボチャ属 (Cucurbita) の総称。原産は南北アメリカ大陸。果実を食用とする。「カボチャ」という語はポルトガル語の「Cambodia abóbora」(カンボジャ・アボボラ、「カンボジアのウリ」の意)の後半が略されたもの。逆に前半を略してボーブラあるいはボーボラと呼ぶ地方もある。また、「南瓜」は「南京瓜」の略であるという。「唐茄子(とうなす)」「南京(なんきん)」という呼び名も使用されることがある。なお、北米では英語でパンプキンと呼ばれるものは果皮がオレンジ色の種類に限られ、その他のカボチャは全てスクァッシュと総称されるため日本のカボチャは「カボチャ・スクァッシュ」と呼ばれるが、オーストラリアなど他の英語圏ではこの限りではない。

栽培
栽培されているのは主に次の3種類である。

西洋カボチャ C. maxima
主に大型のカボチャがこれに含まれる。現在日本で広く栽培されているカボチャは西洋カボチャである。花梗はスポンジ状で膨れており、畝は無い。
東洋カボチャ C. moschata
日本カボチャ、バターナット・スクァッシュがこれに含まれる。
ペポ種 C. pepo
小型のカボチャ、ドングリカボチャ、ソウメンカボチャなどがこれに含まれる。ハロウィンでおなじみのオレンジ色のカボチャはペポ種である。なお、ズッキーニも同種。
東洋カボチャは天文年間に日本にポルトガル人がカンボジアから持ち込んだ。ペポ種は中国を経由して来たため唐茄子とも呼ばれる。 病害虫に強く栽培も容易であり、こぼれた種が勝手に成長、結実することもよくある。強健な性質を利用して、カボチャをキュウリやメロンの接ぎ木の台にすることもある。


[編集] 食材

海外品種のカボチャ(ペポ種)。ハロウィンでおなじみ。
殻を取り除いたパンプキンシード実はビタミンAを豊富に含む。皮は硬いが長く煮ることでやわらかくして食べることができる。日本には冬至にカボチャを食べる風習がある。 サツマイモと同様に、デンプンを糖に変える酵素を含んでおり、貯蔵によって、あるいは低温でゆっくり加熱することによって甘味が増す。 大ぶりで甘味が強い西洋カボチャが現在の主流となっているが、これは煮物を甘く煮付ける家庭料理的な習慣によるもので、出汁を効かせて煮る日本料理的な煮物には、小ぶりで甘味は少ないが煮崩れしにくい日本カボチャが向いている。

甘みの強い品種は菓子作りにも向いており、パンプキンパイやプリン(南アメリカのフランやタイの「サンカヤー・ファクトン」が有名)などに加工される。

種子(パンプキンシード)も食品として市販されており、ナッツとして扱われる。パンや洋菓子のトッピングとして用いられることが多い。メキシコにはカボチャの種子をすりつぶしたソースで肉や野菜を煮込んだ、ピピアン(pipián)という伝統料理がある。また、種子から食用油(パンプキンシードオイル)が取れる。

アメリカ合衆国ではシナモンやクローブなど、パンプキンパイに用いる香辛料とカボチャを使って醸造したビールが生産されている。

日本では北海道での生産量が多い。



[編集] 生薬
乾燥した種子は、南瓜仁(ナンカニンまたはナンガニン)という生薬で条虫、回虫駆除に用いられる。


[編集] その他

ジャックランタンアメリカ合衆国などではハロウィンが近づくと、オレンジ色のカボチャの中身をくり抜いて目鼻などをつけた観賞用のちょうちん(ジャックランタン)を作り、中にロウソクを立てて戸口に飾る。昔はハロウィンが終わるとジャックランタンでよくパンプキンパイを作っていたが、現在のジャックランタン用のパンプキンの品種は観賞用に選抜されているため味があまり良くなく、腐るまで放置されることが多い。ハロウィンの夜に「トリック・オア・トリート(いたずらかお菓子か)」に繰り出したティーンエイジャーが他人の家のジャックランタンを持ち去って打ち壊すのは割とよくあるいたずらであり、オルタナティブ・ロックのバンド「スマッシング・パンプキンズ」のバンド名はここから来ている。



カボチャのことはあんまり調べなくてもいいかも
とか思っていました
でも調べてみると知らないことは必ずあるものです
なんでも調べてみるものですねー

ポルトガル語だったとはびっくりー
というわけで今日はそれなりに知識が増えた気がしましたヽ(´ー`)ノ




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