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2017-10

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「融」~鳥は宿す池中の樹。僧は敲く月下の門。

能における月──といえば、一番先に思い出すのが「融」です
個人的には、一番最初に見た能が「融」で
それがとても気に入ったので能をずっと見たりするようになったとか・・・
最初に見たのは高校生か大学生、どっちの頃だったかな
どっちでも別にいいけど・・・
「姨捨」とかも月の趣だけど、それはまたいずれー




「融」

世阿弥作
ワキ──旅僧
シテ──老人
後シテ──融
太鼓あり。五番目物


あらすじ

中秋名月の日。都の六条河原の院を旅の僧が訪れると、田子を持った老人が現れて汐汲をはじめる。なぜ海辺でもないのに汐汲をするのか尋ねると、ここはかつて河原の院で、融の大臣が陸奥の塩竃の景色を愛でてここにその風景を作らせて遊んだ、という由来を語る。そして僧が、ではあれが有名な籬が島か、とたずね、老人は融の大臣のいわれを物語る。そして都の名所を教えたあと、姿を消す。その後間狂言で、それは融の大臣の幽霊であろうと所の者が語る。旅の僧が待っていると、貴族の姿で融の大臣が現れて、在りし日の風流の遊びの数々を偲び、月下で舞う。やがて明け方になり、月の都へ帰るように消えて行く。



詞章、月のイメージがとても美しい作品です
融の大臣の物語については、説話などがありますが
この作品の趣とはずいぶん違っています

詞章を中心に見て行きます
まずはシテの登場からー
老人は田子を持って登場します
そして汐汲の真似をします

シテ一セイ
「月も早。出汐になりて塩釜の。
うらさび渡る。気色かな。
サシ「陸奥はいづくはあれど塩釜の。
うらみて渡る老が身の。よるべもいさや定なき。
心も澄める水の面に。
照る月並を数ふれば。今宵ぞ秋の最中なる。
実にや移せば塩釜の。月も都の最中かな。
下歌「秋は半身は既に。老いかさなりてもろ白髪。
上歌「雪とのみ。積りぞ来ぬる年月の。積りぞ来ぬる年月の。
春を迎へ秋を添へ。
時雨るゝ松の。風までも我が身の上と汲みて知る。
汐馴衣袖寒き。浦わの秋の夕かな
浦わの秋の夕かな。



いくつかの和歌を下敷きにした詞章です

陸奥はいづくはあれど
 塩竃の浦漕ぐ舟の綱手かなしも (古今・東歌)

水の面に照る月なみを数ふれば
 今宵ぞ秋の最中なりける (拾遺・秋/源順)



汐汲をする老人を見て旅の僧はいぶかしがります

シテ詞「さん候この処の汐汲にて候。
ワキ「不思議やこゝは海辺にてもなきに。
汐汲とは誤りたるか尉殿。
シテ「あら何ともなや。
さてこゝをば何処としろし召されて候ふぞ。
ワキ「この処をば六条河原の院とこそ承りて候へ。
シテ「河原の院こそ塩釜の浦候ふよ。
融の大臣陸奥の千賀の塩釜を。
都の内に移されたる海辺なれば。
名に流れたる河原の院の。河水をも汲め池水をも汲め。
こゝ塩釜の浦人なれば。汐汲となどおぼさぬぞや。



旅の僧は、融大臣のいわれを思い出しました
そしてあれは籬が島かと尋ねて会話をしていると
中秋の名月がのぼってきます

シテ「さん候あれこそ籬が島候ふよ。
融の大臣常は御舟を寄せられ。
御酒宴の遊舞さまざまなりし所ぞかし。
や。月こそ出でて候へ。
ワキ「実に実に月の出でて候ふぞや。
あの籬が島の森の梢に。鳥の宿し囀りて。
しもんに移る月影までも。孤舟に帰る身の上かと。
思ひ出でられて候。
シテ詞「何と唯今の面前の景色が。
御僧の御身に知らるゝとは。
若しも賈島が言葉やらん。
鳥は宿す池中の樹。
ワキ「僧は敲く月下の門。
シテ「推すも。
ワキ「敲くも。
シテ「古人の心。
今目前の秋暮にあり。
地「実にやいにしへも。
月には千賀の塩釜の。月には千賀の塩釜の。
浦わの秋も半にて。松風も立つなりや霧の籬の島隠れ。
いざ我も立ち渡り。昔の跡を。陸奥の。
千賀の浦わを。眺めんや千賀の浦わを詠めん。



二人は月が出てきたのに気づき
その風景を、古い詩によせて愛でます

その後、僧は老人に河原の院に塩竃を移したことについて尋ねます

ワキ詞「塩釜の浦を都に移されたる謂御物語り候へ。
シテ詞「嵯峨の天皇の御宇に。
融の大臣陸奥の千賀の塩釜の眺望を聞し召し及ばせ給ひ。
この処に塩釜を移し。あの難波の御津の浦よりも。
日毎に潮を汲ませ。
こゝにて塩を焼かせつゝ。
一生御遊の便とし給ふ。
然れどもその後は相続して翫ぶ人もなければ。
浦はそのまゝ干汐となつて。
地辺に淀む溜水は。雨の残の古き江に。
落葉散り浮く松蔭の。
月だに澄まで秋風の。音のみ残るばかりなり。
されば歌にも。
君まさで煙絶えにし塩釜の。うらさびしくも見え渡るかなと。
貫之も詠めて候。
地「実にや眺むれば。月のみ満てる塩釜の。
浦さびしくも荒れはつる跡の世までもしほじみて。
老の波も帰るやらん。あら昔恋しや。
地歌「恋しや恋しやと。したへども歎けども。
かひも渚の浦千鳥音をのみ。
鳴くばかりなり音をのみ鳴くばかりなり。



融大臣の死後は誰も手入れをする人がなくなって
荒れ果ててしまったことを物語ります

その後さらに僧は老人に、都の名所を尋ね
老人は都の名所を語ります

シテ「さす汐時もはや過ぎて。
地「隙もおし照る月にめで。
シテ「興に乗じて。
地「身をば実に。忘れたり秋の夜の。
長物語よしなやまづいざや汐を汲まんとて。
持つや田子の浦。東からげの汐衣。
汲めば月をも袖にもち汐の。
汀に帰る波の夜の。
老人と見えつるが汐雲にかきまぎれて跡も見えず。
なりにけり跡をも見せずなりにけり。
(中入間)



そして消え去ります

多分その老人は融の大臣の亡霊だろうと聞いた僧は
ふたたび彼に会うのを待ちます

そして後半では若い貴族の姿(面は中将)となって
融は登場し、昔を偲びます
そして舞を舞い、月を愛でた後
朝になって再び姿を消します
後半では、僧は融を見ているだけです
美しい詞章なので全部ー

出端
「忘れて年を経し物を。
又いにしへに帰る波の。
満つ塩釜の浦人の。今宵の月を陸奥の。
千賀の浦わも遠き世に。其名を残すまうちきみ。
融の大臣とは我が事なり。
我塩釜の浦に心を寄せ。
あの籬が島の松蔭に。明月に舟を浮べ。
月宮殿の白衣の袖も。
三五夜中の新月の色。
千重ふるや。雪を廻らす雲の袖。
地「さすや桂の枝々に。
シテ「光を花と。散らす粧。
地「ここにも名に立つ白河の波の。
シテ「あら面白や曲水の盃。
地「浮けたり浮けたり遊舞の袖。

早舞

ロンギ地「あら面白の遊楽や。
そも明月の其中に。まだ初月の宵々に。
影も姿も少なきは。如何なる謂なるらん。
シテ「それは西岫に。入日のいまだ近ければ。
其影に隠さるゝ。
たとへば月の有る夜は星の薄きが如くなり。
地「青陽の春の初には。
シテ「霞む夕の遠山。
地「黛の色に三日月の。
シテ「影を舟にも譬へたり。
地「又水中の遊魚は。
シテ「釣と疑ふ。
地「雲上の飛鳥は。
シテ「弓の影とも驚く。
地「一輪も降らず。
シテ「万水も昇らず。
地「鳥は。地辺の樹に宿し。
シテ「魚は月下の波に伏す。
地「聞くとも飽かじ秋の夜の。
シテ「鳥も鳴き。
地「鐘も聞えて
シテ「月も早。
地「影傾きて明方の。雲となり雨となる。
此光陰に誘はれて。
月の都に。入り給ふ粧。
あら名残惜しの面影や名残惜しの面影。



ヽ(´ー`)ノ



というわけで、融と賈島についてウィキペディア調べー

▼源融
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E8%9E%8D

源 融(みなもと・の・とおる、弘仁13年(822年) - 寛平7年8月25日(895年9月21日))は、嵯峨天皇の12男。侍従、右衛門督。大納言などを歴任し、従一位左大臣にいたる。別名河原左大臣。死後正一位を追贈された。

肖像
嵯峨源氏融流初代。紫式部『源氏物語』の主人公で美男子の光源氏の実在モデルとする説がある。陸奥国塩釜の風景を模して作庭した六条河原院(現在の渉成園)を造営したといい、世阿弥作の能『融』の元となった。また、別邸の栖霞観の故地は今日の嵯峨釈迦堂清凉寺である。

六条河原院の塩釜を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の汐を汲んで運ばれたと伝えられる。そのため、源融が汐を汲んだ故地としての伝承がのこされており、尼崎の琴浦神社の祭神は源融である。

陽成天皇の譲位で皇位を巡る論争が起きた際、自分も皇胤の一人であると主張したが藤原基経に退けられたという。(『大鏡』) また融の死後河原院は息子の昇が相続、さらに宇多上皇に献上されており、上皇の滞在中に融の亡霊が現れたという伝説が『今昔物語』『江談抄』等に見える。

現在の平等院の地は、源融が営んだ別荘だったもの。


源融流嵯峨源氏
嵯峨源氏において子孫を長く伝えたのは源融の流れを汲み、地方に下り武家となった融流嵯峨源氏である。

その代表が摂津(大阪)の渡辺氏であり、祖の源綱(みなもと・の・つな)は源融の孫の源仕の孫に当たり、母方の摂津国渡辺に住み、渡辺氏は大内守護(天皇警護)の滝口武者の一族に、また瀬戸内の水軍の棟梁氏族となる。

渡辺綱の子あるいは孫の渡辺久は肥前国松浦郡の宇野御厨の荘官となり松浦久と名のり、松浦郡の地頭の松浦氏は、九州の水軍松浦党の棟梁氏族となる。

筑後(柳川)の蒲池氏も源融の子孫であり、源融の孫の源是茂(源仕の弟)の孫の源貞清の孫の源満末が肥前国神埼郡の鳥羽院領神埼庄の荘官として下り、次子(あるいは孫)の源久直が筑後国三潴郡の地頭として三潴郡蒲池に住み蒲池久直と名のる。

蒲池氏の末裔でもある西国郡代の窪田鎮勝(蒲池鎮克)の子で二千石の旗本の窪田鎮章が、幕将として幕末の鳥羽伏見の戦いで討ち死にした際、大坂の太融寺で葬儀が行われた。この太融寺もまた、源融ゆかりの寺である。

また尾張(愛知)大介職にあった中島宣長も源融13代目の子孫とされており、承久の乱に朝廷方として参加し、乱後の領地交渉の模様が吾妻鏡に記されている。なお宣長の孫の中島城主中島蔵人の子滅宗によって妙興寺等数寺が創建された。




▼賈島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%88%E5%B3%B6

賈島(かとう、779年(大暦14年) - 843年(中和4年))は中国唐代の詩人。字は浪仙、または?仙。

略伝と逸話
范陽(北京市)の人。はじめ進士の試験に失敗して、僧となり法号を無本と称した。後に洛陽に出て文を韓愈に学び、その才学を認められ還俗して進士に挙げられた。835年に長江県(四川省)の主簿となり、841年に普州司倉参事となり司戸に赴任するところ、命を受けないうちに牛肉を食べすぎて没したという。享年65。

進士の試験を韓愈に薦められて一度は落ち、「宰相が憎んでいるせいだ」と他人にそそのかされて腹を立て、ちょうど新居を建てたばかりの宰相・裴度にあてて詩を作り、「千家を破却して一池を作る、桃李を栽えずして薔薇を種う、薔薇花落ち秋風の後、荊棘満庭君始めて知らん」と誹謗したことがある。これは不評であり、賈島がなかなか出世しない理由となったという。

賈島は苦吟をもって名高く、「李欵の幽居に題す」中の一句で僧は敲くがいいか、僧は推すがよいかと悩みながら歩いているうちに(一説には驢馬に乗っていた、とある)韓愈の行列に突き当たり、賈島が悩みを打ち明けて相談したところ、韓愈は「それはもちろん、僧は敲く、が良い」と言下に答え、それから賈島は韓愈の門下に入ったという話がある。これが「推敲」の故事である。

「獨行潭底影、數息樹影身」の二句を3年かけて練り上げ、自ら注して「一吟双涙流る、知音もし賞せずんば、帰りて故山の秋に臥せん」という。小杉放庵は、「我が事について、ことさら重大に考える癖のある人」と評している。一方、唐代の李洞のように賈島の詩を慕い、ついに賈島の銅像(賈島仏)まで造って仕えた人もいる。


[編集] 詩風
宋代の蘇東坡の評に「郊寒、島痩」(郊は孟郊で、島は賈島)という語がある。特に五言律詩に長じた。 著書に『長江集』10巻がある。

題李欵幽居

閑居少鄰竝  閑居隣並少なく
草径入荒園  草径荒園に入る
鳥宿池中樹  鳥は宿る 池中の樹
僧敲月下門  僧は敲く 月下の門
過橋分野色  橋を過ぎて野色を分かち
移石動雲根  石を移して雲根を動かす
暫去還來此  暫く去って還た此に来たる
幽期不負言  幽期 言に負(そむ)かず

渡桑乾
客舍并州已十霜  并州に客舍し 已に十霜
歸心日夜憶咸陽  歸心日夜 咸陽を憶う
無端更渡桑乾水  端無くも更に渡る 桑乾の水
卻望并州是故  卻って并州を望めば 是れ故

尋隠者不遇
松下問童子  松下童子に問う
言師採藥去  言う 師は薬を採りに去る
只在此山中  只だ此の山中に在り
雲深不知處  雲深くして處を知らず



ヽ(´ー`)ノ



・参考資料

http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yo243.txt

日本古典文学全集『謡曲集(2)』(小学館)

・能の基本
 (前書いたもの)
 http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-3.html




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