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2017-09

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『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと⑤

なんか口内炎が治らないっていうか増える;;
てことで楽しい読書のつづきー

失われた時を求めて〈10 第7篇〉見出された時 (ちくま文庫)失われた時を求めて〈10 第7篇〉見出された時 (ちくま文庫)
(1993/07)
マルセル プルースト

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のーと④
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-171.html
のつづきー

にしてもこのところ体調不良でだるすぎ

てことで写経のように心が落ち着く読書メモ




・つづき

④の後はしばらく具体的なことを書いてるのでとばす
それはそれでいいものだったりするけど、きりがないー

だって読書メモ①は314ページからで、メモ④で324ページとか
あとこの1冊だけで300ページくらいあるのにー

てことで、まあ予定通りさっくり飛ばすー

復活したものはどんなものか?


328ページ

いつも、このような復活のときには、共通の感覚のまわりに生み出された遠い場所が、格闘者のように、現時の場所に組みついたのだった。
いつも現時の場所が勝ったのだった。
いつも、うち負かされたのは、私にとって、そのほうが美しいと思われていた場所だった。
美しいと思われていたからこそ、一杯の紅茶をまえにしたときも、不揃いな敷石の上でも、陶酔状態のなかでじっとして、あのコンブレーを、あのヴェネチアを、あのバルベックを、そのどれかが立ちあらわれている短いあいだもちこたえようとつとめ、それが消え去ってしまったとたんにそれをふたたび出現させようとつとめたのだった。
それらの場所は、おしよせてきてもおしかえされ、立ちあがっても、結局は新しい場所のただなかで、新しいといっても過去を浸透させることのできたこの場所のただなかで、私をすてさっていった。


ふむふむー
それはとっても逃げ去りやすいものの様子ー

で、つぎ

329ページ

 私のなかに三、四度にわたってよみがえった存在は、そんなわけで、たったいま、時からまぬがれたともいうべき人生の断片を味わったのであったが、それを観想しようとすると、その観想は、永久的なものであるにもかかわらず、つかのまに逃げ去って行くのだった。それでも、やはり私に感じられたのは、これまでの生活で、めずらしい間隔を置いて、そのような観想が私にあたえた快感こそ、みのりある、真実な、唯一のものであった、ということだ。


ともかく逃げ去りやすいものだけれども、
それはとても価値があると考えてたり

続きは他の快感についてとかの考察なので、
メインの考察からははずれるから、今回は割愛

さらにこんな

332ページ

私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。
また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコ広場の上ではないということを。

※「失われた時」は原文には傍点つき


主人公のさまざまな試みと失敗と失望とー

この経験の部分もまた考察とか含んでいて、
それは魅力だけどこの膨大さにもなったわけだけど

ただこの作品がこれだけ人気でたのは、
社交界とか恋愛とか、経験の部分の物語があるからだろうなあとは思うけど・・・

332ページ

また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私に起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。
またしてもまんまと騙されたくはなかった、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思い込んでいたものに本当に自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。
それゆえ私は、無益におわると長いまえから私にわかっている手にのって、また一つよけいな経験を試みようとはしなかった。


ともかく主人公がずっと試行錯誤していることはこんなことなんだけど

333ページ

私が固定させようとつとめているいくつかの印象は、その場の接触でじかにたのしもうとすると、消えうせるばかりであり、直接のたのしみからそれらの印象を生まれさせることができたためしはなかった。
それらの印象を、よりよく味わうただ一つの方法は、それらが見出させる場所、すなわち私自身のなかで、もっと完全にそれらを知る努力をすること、それらをその深い底の底まであきらかにするように努力することだった。


解決法はこんなだということで

これまで私は、バルベックにいることの快感をその場では知ることができず、アルベルチーヌと同棲することの快感をそのときには知ることができなかった、快感は事後でなくては私に感知されなかったのであった。


ともかくずっとこんなだったからということで
しばらくちょっと失望についてだけど、少し飛ばす


333ページ

そして、あるいはスプーンの音、あるはマドレーヌの味から生じた、あの超時間的なよろこびをふたたび考えながら、私は自分にいうのだった、
これであったのか、ソナタの小楽節がスワンにさしだしたあの幸福は? スワンはこの幸福をあやまって恋の快感に同化し、この幸福を芸術的創造のなかに見出すすべを知らなかったのであった。
この幸福はまた、小楽節よりもいっそう超地上的なものとして、あの七重奏曲の赤い神秘な呼びかけが私に予感させた幸福でもあった。スワンはあの七重奏曲を知ることができないで死んだ、自分たちのために定められている真実が啓示される日を待たずに死んだ多くの人たちとおなじように。
といっても、その真実は彼には役に立つことができなかっただろう、なぜならあの楽節は、なるほどある呼びかけを象徴することはできたが、新しい力を創造する、そして作家ではなかったスワンを作家にする、ということはできなかったから。」


スワンについての考察から、芸術的創造、作家という単語が出てきたり

このあとは記憶とか芸術とかになってくる感じなので
内容的には一区切りっぽいってことで、今回はここでおしまい





▼(おまけ)思いつきめも-夢幻能にあてはめてみると?

過去を思い出すというおとで、能、特に夢幻能のことを思い出したり
あれはシテ(亡霊とかだけど)が、過去を思い出して語るけれど
舞とかをみると、その過去と同化しているようにもみえるかも

気が向いたらもっと考えたいけど、口内炎痛くてだるくてどうしようもない
ってか、かぜなおらない;;






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