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読書とか、いろいろなお勉強(byウィキペディア)とか、文章(文学、芸術、哲学)とか・・・


2017-09

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『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと②

読書は順番通りに読もうとするとうんざりするけど、
ぱらぱら読みなら負担にならないということもしばしばー

てことで、歯医者で悲惨&口内炎が痛いって今日この頃だけど、
またこの読書、というか読書メモを続けてみることにー

読書と読書メモは同じじゃないものだけど・・・

失われた時を求めて〈10 第7篇〉見出された時 (ちくま文庫)失われた時を求めて〈10 第7篇〉見出された時 (ちくま文庫)
(1993/07)
マルセル プルースト

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『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと①
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-168.html

の続きー

そういえば今気付いたけど、机の上に積んである(読んでいるとも)本は
ちくま文庫率が異様に高いかも

ちくま文庫さんありがとうーヽ(´ー`)ノ
1500円くらいとか、文庫本としては高いけど、
出てくれるだけありがたいラインナップなのは確か・・・
やっぱりこういう本は出版しつづけてほしいなあ・・・

(´・ω・`)




『失われた時を求めて』10

それにしても、これ10巻目だけど、改行がほとんどないのに
600ページ以上あるというすごさ

しかも密度はやたら高いし・・・
ちょっと一部分を抜き出してみても、いいなあと思う箇所がいっぱい
だからそこに傍線ひいてあっても、
ぱらぱら探しなおすにも苦労するくらいー

ともかく当面は、1巻と10巻(芸術家関連はもしかしたら見直すかも)の
現在の興味にあるところだけピックアップして、
頭に入るように(網膜に映すだけなのも、文字を追うだけなのも同じ)
読み直していきたいー

前回の記事はなんか頭がへろへろだったので(当社比)、
前回引用したところについて何も書いてなかったけど・・・

バルベック周辺、マドレーヌ、マルタンヴィルの鐘塔、ヴァントゥイユ、
こんな、何度も繰り返し扱われてきたテーマが
また登場していたり・・・

で、今回はその直後の続きをみてみることに

原文は改行ないけど、読みづらいから改行加える

※改行の凡例
 空白+改行は、原文通り。
 空白なし+改行は、原文は改行していない。
 太字などの装飾は、読むために適当に追加。



315ページ

マドレーヌを味わっていたときのように、将来についてのあらゆる不安、知的なあらゆる疑念は、吹きはらわれていた。たったいま私を襲っていた疑念、私の文学的才能の実在にかかわる疑念、さらには文学そのものの実在にもかかわる疑念は、魔法にかかったようにとりされれていた。
たったいま、どうしても解けなかった難問は、どんな新しい推理を私がしたのでもなく、どんな決定的な論証を私が見出したのでもないのに、すっかり重要さを失ってしまった。
しかしこんどは私はしかと決意するのだった、煎じ茶にひたしたマドレーヌの一かけらを味わった日の自分のように、それがなぜかを知らないままであきらめるようなことがあってはならないと。
私がいま抱いたばかりの幸福感は、なるほど、マドレーヌをたべていておぼえた幸福感、それの深い原因を求めることをあとにのばしたあの幸福感とおなじものであった。


マドレーヌはまあ超有名な1巻の74ページのこと

1巻だしそのうち読書のーと記事、書けるといいなw

マドレーヌや、あるいはその他、
マルタンヴィルの鐘塔、ヴァントゥイユなどが主人公にもたらした
幸福感がまた現れたこと、

そしてその幸福感の疑問、難問、その原因の追求を
今度こそ失敗しないようにというかんじに

316ページ

しかしそんな私が、ゲルマントの午後のパーティーも忘れて、両足をそのように置いたままで、さっきの感覚をふたたび見出すことに成功したのは、またしても、まぶしい、はっきりしない視線が、あたかも私にこういったかのように、私をかすめてすぎてゆくときだった、
「きみにその力があるなら、私の通りがかりをつかまえよ、そして私がきみにさしだす幸福の謎を解くことにつとめよ。」


ヽ(´ー`)ノ

マドレーヌとかの感覚がもたらす幸福の謎、
その深い原因は何かという疑問、難問を解こう、
──と主人公が考えた、という箇所なのかもー

316ページ

プチット・マドレーヌのが私にコンブレーを思いださせたのも、これと同様だった。
しかし、なぜコンブレーとヴェネチアとの映像は、それぞれの瞬間に、このようなよろこびを私にあたえたのであろう、一つの確信にも似たよろこびを、そして、べつに他に例証がないのに、私にとって死をどうでもいいものにするに十分なよろこびを?


315ページの「しかし、まえぶれがやってきて……」からはじまった段落は
一応ここまで改行なしで、ここでやっと終わっていたり

味、映像、あるいは音やなにやらが、
死もどうでもいいほどの喜びを何故与えるのかという疑問
ということが書かれていたり

というわけで、とりあえず今回はおしまいー

つづき

http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-170.html


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