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2017-10

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「夢溪筆談」(沈括)読書③~天文や医学について

口内炎が痛い・・・
たいてい我慢してればそのうち治るから我慢してたら
なんか増えたんだけど;;


今日はいろいろ体調悪いなあということで
そういう日は割とブログ書く気分になりやすいかも

というわけで、どうせなにしてても痛くていらいらするから
読書でも・・・

▼沈括
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E6%8B%AC

沈括(しん・かつ、1030年 - 1094年)は北宋時代中期の中国の政治家・学者。沈遘の従弟。字は存中。夢渓丈人と号する。


▼夢溪筆談(沈括)
http://zh.wikisource.org/w/index.php?title=%E5%A4%A2%E6%BA%AA%E7%AD%86%E8%AB%87&variant=zh-hant


古代の天文学とか好き

今もそうだろうけど、観測とか実験に基づく
データとかの部分が少ない(無理とか)から
理屈を重ねているので、その思考の展開とかが楽しい・・・


巻七 象数

北斉の張子信は天体を観測し、「一般に月が運行してゆく前方に星があると、月の運行が速くなり、星が多ければとくに速くなる」とした。
 月の運行には、当然きまった遅速の数値があるが、運行がはやい場合には、必ずその前方に星があり、子信の言うとおりである。これまた陰と陽とが感応しあってしぜんに契びあうにすぎない。


次は医術ー

そういえばパラケルススのも読み途中でほったらかしだったっけ
これも怪しげでいいなあ・・・

 医者には五運六気という術がある。大きなことでは、天変地異、寒暑や風雨、水旱や虫害を予測するが、たいていどれも法則がある。小さなことでは、人間のいろいろな病気も、気の運りに従って消長する。いまの人は、運用法を知らず、定法に固執するから、その術はどれも効験がないのである。
 たとえば「厥陰(けついん)」が支配すると、そのときの気は風が多く吹き、人は湿性の病気にかかる。〔しかし〕どうして天の下すべてのところで風が吹き、すべての人間が湿性の病気にかかることがありえようか。一つの県の中でさえ、晴れたり雨だったり、同じ天気でないことがある。こうした場合、気の運りはどこにあるのだろうか。謬まらないようにしようとしても、うまくゆかない。
 ぜんたい、物の理法には「常」と「変」がある。〔一つの〕運気が支配する場合は「常」であり、異なったものが支配するときは「変」である。「常」の場合はその気固有の現象があらわれるが「変」の場合はあらゆることがおこり、各々に応じた占(よそく)がたてられる。だから、その徴候には「従」「逆」「淫」「鬱」「勝」「復」「太過」「不足」などの「変」があり、その発現のしかたはみな違っている。
 もし「厥陰」が支配する時なら、風邪が多くて草木が繁茂すれば、これは「従」といえるが、天機が清朗で乾燥して風がなければ「逆」とよぶ。大虚(おおぞら)は埃(ちり)で昏(くら)く、水が流れて氷らぬのを「淫」といい、強風で木が折れ、雲物(くも)が濁りみだれるのを「鬱」という。山や沼沢がわきひあがり、草木が凋み落ちるのを「勝」といい、焼けつくように暑く、螟虫(ずいむし)や蝗が災害をもたらすのを「復」という。山崩れや地震、時どき日中に昏くなるのを「太過」とよび、いつもひんやり薄暗く、厚い雲で昼も昏いことを「不足」とよぶ。こうした変化にしたがって悪い病気が応じておこり、すべて時と場所の違いに応じた徴候をあらわすのである。数里はなれているだけでも、気の徴候が地が言えば、その反応はまったく異なってしまう。一つのきまった法(やりかた)に固執するべきではない。
……


このあたりは、易とか天文とか、怪しげな話が多くて、おもしろいー

口内炎はこの理論でいうとどう説明できるんだろうとか考えると
少しは痛いのの気もまぎれるかも

ていうか増えるって最悪

もう起きてても痛いだけだから寝ようかな;;
治るまで起きたくない・・・



つづき

象数のところおもしろいー

 司馬彪の『続漢書』に見える「候気の法」は次のようなものである。「閉めきった部屋の中に、木で案(いた)をつくり、それぞれの方位に従って十二の律管を置く。〔律管には〕葭の灰をみたし、あかぎぬでおおう。〔ある節気に応じた〕気がやってくると、ある律管の灰が飛ぶ」。置いてある律管はどれもたかだか数尺をこえないのに、気がやってきたとき、その気に対応する律管だけが感応するのはなぜだろうかと、世間の人々は一様に疑問を持っている。ある者は「昔の人にはそれなりの術があったのだ」とか「〔律管の〕長さの至妙な数値は、造化の働きに暗合するものである」とか、「干支と方位は、おのずから感応しあうものだ」とか言うのだが、どれもまちがっている。
 司馬彪の説はそのあらましを会得して書いているにすぎない。
……


これとかわけわからないかんじがいいなあ

ところで、中国の史書とか、結構天文のことが書いてあったりするけど
現代の歴史の考え方にとってはノイズみたいな扱いなのかな?
とはいえ、少なくともその時代に天文が天文学以外にさまざまな影響を
及ぼしていたから記録されているんだろう、ということには違いないわけで

で、宋の時代(この著者の時代)の天文院についてー
2つあったとか注にあったり

 わが朝では、宮城内に天文院を於いて、水時計、天文観測台、銅製の渾儀をすべて司天監と同じように設置し、司天監と相互にしらべ考えあわすこととしていた。
 毎晩、天文院では、異変、雲の様子、吉祥などの生むと、その夜の星の位置をきちんと記録し、皇城の門が開かれる前に、それを禁中にとどけなければならなかった。門が開いたあと、司天監からの観測報告がとどくと、両方の報告をつきあわせて、虚偽を防止した。最近では、全部こっそり打ち合わせ、ぴったり一致した報告を書いた。……
煕寧年間、私が天文台を総裁して、その欺瞞をしらべてあばき、六人を免官とした。しかし、何ほどもたたずに、その弊害はもとに戻ってしまった。


制度を作るのと、制度がまともに運用されないのと
その繰り返しは賽の河原を彷彿・・・

この記事は(一)までを収録しようー

次は「巻九 人事一」から

趙抃(ちょうべん/1008-1084)は成都の転運使だったとき、管内の巡察に出かける折、琴一面と鶴一羽を携えるだけで、休息するときには鶴をみながら琴をならした。……


好き勝手でいいな、というかんじ



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