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2017-08

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ジョバンニ・シドッチさん~宝永年間に日本に来たイタリア人(とドルチの絵)

なんとなく、ウィキペディアで年号の「宝永」をぼーっとみていて
それでみつけたこの人
ウィキペディア楽しいなあ・・・

▼宝永
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B0%B8

宝永(ほうえい、旧字体:寶永)は、日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1710年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。




▼ジョバンニ・シドッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%81

ジョバンニ・バッティスタ・シドッチ(Giovanni Battista Sidotti 1668年-1714年11月27日)はイタリア人のカトリック司祭。江戸時代中期の日本へ潜入して捕らえられ、その死まで江戸で幽閉された。時の幕政の実力者、新井白石はシドッチとの対話を通して『西洋紀聞』などを著した。

生涯

イタリア、シチリアの出身。司祭として活動していたが、ヨーロッパへも殉教物語など宣教師の報告が伝わっていた日本への渡航を決意。教皇クレメンス11世に願い、日本潜入を目指した。マニラまでたどりついたものの、鎖国下の日本へ宣教師を送る危険を冒す船はなかなか見つからず、ようやく1708年(宝永5年)8月、侍の姿に変装して屋久島に上陸したが、ほどなく捕らえられて長崎へと送られた。

翌年、1709年(宝永6年)江戸に護送され、時の幕政の実力者で儒学者であった新井白石から直接、尋問を受けた。白石はシドッチの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接した。シドッチも白石の学識を理解して信頼し、二人は多くの学問的対話を行った。特にシドッチは白石に対し、従来の日本人が持っていた「宣教師が西洋諸国の日本侵略の尖兵である」という認識が誤りであるということを説明し、白石もそれを理解した。

切支丹、特に伴天連(宣教師)は見つけ次第拷問、転ばせる(キリスト教信仰を捨てさせる)ことが最良という従来の規定を破り、新井白石は以下のような意味の意見上申を行った。

上策 本国送還 これは難しく見えるが、一番易しい。
中策 囚人として幽閉 これは簡単なようで実は難しい。
下策 処刑 これは簡単なようで実際、簡単。

白石が幕府に本国送還を上策として具申したのは異例のことであった。結局、用心した幕府は中策を採用し、シドッチを茗荷谷(現:文京区小日向)にあった切支丹屋敷へ幽閉することに決定した。(切支丹屋敷は1646年に捕らえた切支丹を収容するために作られたものであったが、シドッチが収容されるまで、鎖国と禁教政策によって長きにわたって誰も収容者がいなかった。)

茗荷谷の切支丹屋敷では宣教をしてはならないという条件で、拷問を受けないことはもちろん、囚人的な扱いを受けることもなく五人扶持という破格の待遇で軟禁されていた。屋敷でシドッチの監視役で世話係であったのは長助・はるという老夫婦であった。彼らはもともと切支丹であったが、キリスト教を捨てて信仰から離れていた。しかし、二人がシドッチに感化され、信仰に立ち返る旨を主張しだしたため、シドッチは屋敷内の地下牢に移され、1714年(正徳4年)にそこで衰弱死した。46歳であった。

新井白石はシドッチとの対話から得た知識をまとめ、『西洋紀聞』と『采覧異言』を著した。また、シドッチの所持品であったカルロ・ドルチの「親指の聖母像」といわれる図像は、現在重要文化財として上野の国立博物館に収められている。


▼カルロ・ドルチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%81

カルロ・ドルチ(Carlo Dolci、1616年5月25日 - 1686年1月17日)は、17世紀半ばのフィレンツェで活躍した宗教画家。小型の肖像画や宗教画、特に甘美な聖母像や聖女像の制作に優れ、トスカーナ大公家から重用された。ドルチの制作した悲しみの聖母像は、現在ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、ボルゲーゼ美術館、国立西洋美術館などに所蔵されている。ボルゲーゼ美術館の作品は「親指の聖母」と呼ばれるもので、衣のひだの間から親指だけをのぞかせる形で描かれている。


ドルチの絵は、シドッチがもってきたとか

φ(°°) メモ φ(。。) メモ φ(°°) メモ φ



あとー

ドルチの絵は国立西洋美術館にあるとかで
それがウィキペディアにあったー

▼国立西洋美術館の収蔵作品一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%81%AE%E5%8F%8E%E8%94%B5%E4%BD%9C%E5%93%81%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.83.89.E3.83.AB.E3.83.81.EF.BC.88Dolci.2C_Carlo.EF.BC.89


いいなヽ(´ー`)ノ

国立西洋美術館のホームページには
所蔵のそれの詳細もあった

http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/group2.html

カルロ・ドルチ
1616年 - 1686年
悲しみの聖母
1655年頃
油彩/カンヴァス(楕円形) 82.5 x 67 cm



って、勘違いー
シドッチの所持品のは、国立西洋美術館のじゃなかった・・・

でも、上野だし、同じ作者だし、同じ聖母像なら
私の知力なら混同するのもしょうがないかもヽ(´ー`)ノ

ばーかばーか;;

こっち・・・

▼東京国立博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

http://www.tnm.jp/jp/



まいっか、そのうち探そ・・・

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