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2017-04

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『シーボルトと町絵師慶賀』の読書めも

『シーボルトと町絵師慶賀』を読んだりー
新書だし、プロティノス読み途中なので、ざっとメモしとく

シーボルトと町絵師慶賀 日本画家が出会った西欧 (長崎新聞新書)シーボルトと町絵師慶賀 日本画家が出会った西欧 (長崎新聞新書)
(2003/03)
兼重 護

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蛮画、蘭人
長崎派絵画
唐絵目利


▼川原慶賀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E6%85%B6%E8%B3%80

川原 慶賀(かわはら けいが、天明6年(1786年) - 万延元年(1860年)以降)は江戸時代後期の長崎の画家である。出島出入絵師として風俗画、肖像画に加え生物の詳細な写生図を描いた。名は登与助(とよすけ)、種実。号は慶賀、聴月楼主人。別姓に田口。




▼司馬江漢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B1%9F%E6%BC%A2

司馬江漢(しば こうかん、延享4年(1747年) - 文政元年10月21日(1818年11月19日))は、江戸時代の絵師。蘭学者。鈴木春重(すずき はるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。

浮世絵師だったが、後に洋風画を描くに至った。平賀源内と接点があり、彼を通じて前野良沢や小田野直武に師事したとも言われている。 安藤広重の名作「東海道五十三次」のオリジナルを描いたという説がある。

[編集] 業績

[編集] 浮世絵
初期には鈴木春重名で鈴木春信の贋作絵師として活動していた。春信に師事していたとも言われる。


[編集] 洋画
日本における洋風画の開拓者としては、秋田の小田野直武(1746年 - 1785年)とともに重要な画家。直武の作品が、遠近法、明暗法などの西洋画法をとりいれつつ、画材は伝統的な絵具と墨とを使用していたのに対し、江漢は荏胡麻の油を使用した油彩画を描いたことで特筆される。江漢は、西洋画法と油彩の技法を駆使して富士などの日本的な風景を描き、それを各地の社寺に奉納することによって、洋風画の普及に貢献した。現存の代表作の「相州鎌倉七里浜図」はもともと江戸の芝・愛宕山に奉納したもの。社寺の壁などに掲げられる絵馬は傷みやすいものだが、この図は早い時期に社殿から取り外して保存されていたため、保存状態がよい。

日本最初の銅版画(エッチング)師でもある。


[編集] 蘭学・随筆
天文・動植物など西洋博物学に興味を持ち、日本に紹介した。


[編集] 人付き合い
晩年人付き合いが煩わしくなり、自分の死亡通知を知人達に送り逼塞していた。どうしても外出せねばならなくなり、案の定知人と遭遇するや返事もせず逃走するもごまかしきれず、「死人は声を出さぬ」と答えた。



p91

第二期洋風画

紅毛画あるいは蘭画
1720年(享保5)の洋書の禁緩和以後入ってきた、洋書の挿絵や技法書などに刺激を

お絵像



読み終えたー
てことで、これはこのへんで


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