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2017-05

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『中世の秋』③~「Ⅶ 戦争と政治における騎士道理想の意義」

騎士道というと、理屈では武士道と似てそうなんだけど
感覚的にはこの両者が似ているというのにはとっても違和感があったり

それは何故だろうと考えてみると、
やっぱり、騎士道には恋愛も含まれていて
なんとなく、薔薇の花とかがまわりにちりばめられてるような
雰囲気があるからかも

ストイックさとかの点で、雰囲気とか印象が
色彩のように、分かりやすい形で違うからかも

なんとなく、騎士道は金とか赤とかピンクとかで
武士道は、黒とか抹茶色とか
植物で例えると、騎士道は薔薇っぽくて
武士道は、松とかなの・・・

これは個人的な今現在の思い付きの印象だけど・・・

で、今回は騎士道のお話


▼『中世の秋』の騎士道

中世の秋は、騎士道についても書いてあったり

『中世の秋』①
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-117.html
中世の秋②
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-118.html


『中世の秋』(ホイジンガ)の目次で
4騎士の理念
5恋する英雄の夢
6騎士団と騎士誓約
7戦争と政治における騎士道理想の意義

というかんじで、騎士についてかかれてたり

面白かったのは7かなー

とりあえず武士道の比較とか大風呂敷は無理だし
騎士道とは何かとかみつけられるわけもないので
読書メモ・・・


▼Ⅶ 戦争と政治における騎士道理想の意義

感想文つき引用をしてみたりー
感想は(かっこ)

p202

(この章の書き出し)

ホイジンガの歴史観があらわれてるかも)

 むなしい妄想なのだ、騎士の栄光も、モードも、儀式典礼も。きれいごとの、嘘偽りだらけのおあそびなのだ。末期中世の真実の歴史は、と、文書類にたより、国家、商況業の発展を跡づける歴史学者はいう、偽りの騎士道ルネサンスなどとは、なんの関係ももたぬ。……実際、歴史を作ってきたのは夢みる人びとなんかではない。君侯であれ、貴族、聖職者であれ、つまりは打算にたけ、夢からさめていた政治家であり、商人であったのだ、と。

(以上ホイジンガが想定するある歴史家。でこの想定された歴史家の考えは、現代的感覚を歴史に持ち込んでるっぽいかも)

 たしかに、かれらは、夢などみてはいなかったでもあろう。けれども、文化の歴史は、人口や税金の数字ばかりではなく、美によせる夢や高貴な生活という妄想にもまた、関係しているのである。
……

 中世の歴史が、もっぱら政治経済の史料から描きだされるとき、事態は、ほぼこれと同じである。史料が、研究者の視野を制限するのだ。いや、事態は、いっそう悪いともいえる。というのは、騎士道理想は、たしかに作為がかち、陳腐なものになってしまっていたのではあるが、それでもなお、ひきつづき、末期中世の政治の現実に、ふつう考えられている以上に強い影響を及ぼし続けていたのである。


p206
(十字軍とか)

p207

 念入りに準備され、鳴り物入りで宣伝されながら、そのくせぜんぜん実行されず、されてもほんのかたちだけ、というような遠征計画が、この時代、しばしばみられたが、十字軍理想のことはともかくとして、これらはもう、政治的はったりの大法螺として流行したのだ、としか思えないのである。

p208
 騎士道をうたいながら、その実、政治的宣伝をもかねたつくりごとの、たいへん特殊な例として、しょっちゅう予告されながら、いっこうに実現されたことのない王侯の決闘というものがあった。
……

 実際、このような解決法は、プリミティヴな正義感情を満足させ、同時に騎士道幻想にもよくなじむものであったから、しばしば提起されたのである。
……

 このときの挑戦の動機については、はっきりと、こう記録されている、「深く心にかける民衆の破滅と、キリスト教徒の血の流出とを防ぐために」わたしフィリップは望むのだ、「戦争によってことの運ばれることなく、即座に、わたし一身の犠牲において、いさかいに決着のつけられることを。もしや戦争ともなれば、あなたの軍隊、わたしの軍隊ともども、多くの貴人その他の人びとが、悲惨な最期をとげることになるのだから」、と。
 決闘のための支度は、用意万端ととのえられていた。
……フィリップ侯は、とピエール・ド・フェナンは報じている、トレーニングに明け暮れていた、「口は節制をむねとし、やる気を失わないようにとおおいにつとめて」。かれは、毎日、エダンの館の庭園で、その道のエキスパートたちを指南役として、腕をみがいた。
……

だが、決闘はついに行われなかったのである。
……

リールの祝宴の席上、かれは、齢六十の老いの身で、十字軍誓約を行い、トルコ皇帝と一対一で勝負する用意がある、もし相手方が望むならば、と宣言している。

p210

 皇帝カール五世さえもが、フランス王フランソワ一世に対し、二度にわたって、正式に挑戦しているのである。

p213
 




とりあえず今日の所はこのへんでー


追加ー

(1/30)

なんか熱が出たり下がったり、、、

てことで、これもおもしろいなーってことで

p213

 騎士道精神と現実との衝突は、本当の戦争のさなかに、騎士道理想が自己主張しようとするとき、もっともきわだったかたちであらわれる。騎士道理想は、たしかに、戦闘意欲にかたちと力とを与えたかもしれない。けれども、一般に、作戦の遂行にあたっては、じゃまになるものではあっても、役に立つものではなかった。作戦上の要請が、美しく行きたいと願う気持ちの犠牲になったからである。
 最上の指揮官たちでさえも、もちろん国王までもが、しばしば、ロマンティックな冒険を求めて、あえて危険に身をさらすのであった。エドワード三世は、スペイン船の護衛艦隊に無謀きわまる襲撃をしかけて、あやうく生命をおとすところだった。

p218

 戦いの記録は、騎士道ふうの理解のしかたを枠組みとしなければならなかった。これは会戦、あれは遭遇戦と、技術的根拠にもとづいて区別しなければ気がすまなかったのである。というのも、けっきょくは、どんな戦闘も、栄誉の記録簿にしっかりとその位置を占め、その名称を記入される必要があったからである。
 そういうわけで、モンストルレはいう、「かくて、この日から、この事件は、モン・サン・ヴィムーの遭遇戦と呼ばれるようになった。会戦とは呼ばれなかったのである。というのは、両軍は、まったく偶然に遭遇したのであり、また、軍旗の一本だに押したてられはしなかったからである」
 イギリス王ヘンリー五世は、大勝利をおさめたある会戦を、おごそかに、アザンクールの戦いと命名している。「すべて、会戦は、その戦われた場所に近い城砦の名をとって名づけられなければならないからである」とモンストルレは説明している。


ホイジンガの文体(翻訳だけど)というか口調というかも、面白いかも?

特に、戦いの記録とか名前を付けることのこだわりとかおもしろいー

ヽ(´ー`)ノ

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