kuzukiria_blog(文学的)

読書とか、いろいろなお勉強(byウィキペディア)とか、文章(文学、芸術、哲学)とか・・・


2008-05

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画「バリー・リンドン」他~キューブリック様の映画の映像と音楽の美しさ

キューブリックの映画は映像がきれい、音楽がいいー

というわけでにこにこでみかけたのをぺたぺたー

まずは「バリー・リンドン」から

これは映像と音楽の美しさで、彼の作品のなかでも一番かも
私は一番好きな作品かも

ヽ(´ー`)ノ

これは戦争のシーン
戦争の戦闘の場面で、この音楽と映像の美しさが、
キューブリックの才能だなーとかしみじみしたり

扇情的すぎでないところがすてきすぎ



七年戦争のことらしいです

これはサントラ



人物とかストーリーだけが映画とか(小説にしろ)の魅力じゃないと思うけど
まあ、そういうのは比較的人気ないということは事実なのかも
非人情──とか漱石の言葉を思い出したりー

で、次は「博士の異常な愛情」の
とてもインパクトのあるラストシーン・・・



歌詞がいいなーヽ(´ー`)ノ

にこにこのマイリストの登録がいっぱいになってきたので
マイリスト代わりにぺたぺた収録というところも・・・

バリー・リンドンはDVDもってるなー

バリー リンドンバリー リンドン
(2005/04/22)
ライアン・オニール

商品詳細を見る


買っても買って安心してあんまりみなかったりするけど・・・
って、さっきギエムのDVD注文してきたけど;;

というわけでとりあえずウィキペディアしらべー

▼バリー・リンドン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

『バリー・リンドン』(Barry Lyndon, 1975年、アメリカ)は、スタンリー・キューブリック監督が、18世紀のヨーロッパを舞台に撮り上げた映画である。時代考証はもちろんだが、ライティング、美術、衣装に至るまで、完璧主義者であるキューブリックは見事に18世紀を再現してみせている。また、この時代のムードを忠実に再現するため、ロウソクの光だけで撮影するため、NASAのために開発されたレンズを探し出しこの映画のために使用したのは有名な話である。原作はウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説。アカデミー賞の撮影賞、歌曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞を受賞した。



バリー・リンドンの戦争について
博士のほうは第二次世界大戦だからいいか・・・

▼七年戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

七年戦争(しちねんせんそう, 英:Seven Years' War, 独:Siebenjähriger Krieg, 1756年-1763年)は、プロイセン及びそれを支援するイギリスと、オーストリア・ロシア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた戦争である。

概要
七年戦争は、ヨーロッパにおいては、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で戦いが行われた。並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。プロイセンとオーストリアとの戦争を第三次シュレージエン戦争、北米での戦争をフレンチ・インディアン戦争、インドでの戦争を第二次カルナティック戦争とも呼ぶ。これらの戦争を総称して七年戦争と呼ぶこともある。

オーストリアがフランスと同盟を結んだ外交革命、400万対8000万と言う圧倒的な人口格差など、当初プロイセンは敗勢を余儀なくされ、その命運も尽きるかと思われたが、プロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)の適切な戦争指導と、エリザヴェータ女帝の死によるロシアの離反によって戦局は打開され、幸運にも戦争はイギリス・プロイセンの側に有利に帰着した。


[編集] 原因
オーストリア継承戦争の結果、ハプスブルク領であったシュレージエンはプロイセンへ帰属した。シュレージエンの奪回を意図したオーストリア女帝マリア・テレジアは、フランスとの長年の対立関係を解消してフランス、ロシア女帝と結び(外交革命)、プロイセンへの復讐戦を画策した。

折から、1755年9月に北アメリカでフレンチ・インディアン戦争が始まり、フランスとイギリスとの対立はヨーロッパのハノーファーにも飛び火した。この機に乗じてオーストリアが対プロイセンの開戦に踏み切ることが確実な情勢となり、オーストリアの開戦意図を察知したフリードリヒ大王は、予防戦争として先制攻撃に打って出た。


[編集] 経過

[編集] 先制攻撃
フリードリヒ大王は農業生産力の高いザクセンの兵站基地化を狙い、1756年8月29日、開戦と同時に先制攻撃をかける。10月1日、プロイセン軍はロボジッツの戦いでザクセン・オーストリア軍を撃破した。続いて、オーストリアの準備不足に乗じハプスブルク領のベーメンへ侵攻、プラハを包囲する。プラハを救援に来たダウン率いるオーストリア軍に対して、プロイセン軍は1757年6月18日のコリンの戦いで奇襲攻撃を試みるが、逆に撃退されてしまう。

西からはフランス軍が侵攻を開始し、プロイセンは苦しい状況に立たされる。ここで大王は巧みな内線作戦を実施、11月5日のロスバッハの戦いで名高い斜行戦術を駆使してフランス軍に勝利し、200km以上を機動して、12月5日のロイテンの戦いでも斜行戦術により優勢なオーストリア軍を撃破した。プロイセンの同盟国のイギリスは、ウィリアム・ピット(大ピット)が国務大臣として戦争を指揮すると北アメリカ大陸などのフランスの植民地の攻撃に専念してプロイセンの為に援軍や艦隊を送ることはしなかった。


[編集] ブランデンブルクの奇跡
東からはロシア軍が侵攻を開始、東プロイセンを占領しベルリンへ迫るが、1758年8月25日、プロイセン軍はツォルンドルフの戦いでロシア軍を破った。しかし10月14日のホッホキルヒの戦いでは、ダウン指揮下のオーストリア軍に払暁攻撃を受け、歩兵の3分の1と砲兵の大部分を失う打撃を受ける。訓練された兵士の損失は大王の戦術展開を困難にした。そして1759年8月12日、クネルスドルフの戦いで、5万3千のプロイセン軍は7万のオーストリア・ロシア連合軍に壊滅的な敗北を喫する。大王自ら敵弾にさらされ、上着を打ち抜かれ乗馬は撃ち倒されるありさまであった。ベルリンは無防備となり、プロイセンの命運も尽きるかと思われた。

ところが、オーストリア・ロシア連合軍は無防備のベルリンへ進撃せず、最大の危機は去った。連合軍内でベルリン総攻撃のために協定が結ばれたが、オーストリア軍が守らなかったために、ロシア軍が冬営に引き返してしまったためである。プロイセンとフリードリヒ2世は一命を取りとめ、このことは後にブランデンブルクの奇跡と呼ばれた。。


[編集] 講和へ
1760年に入ってもプロイセンの苦しい状況は続いた。8月15日のリーグニッツの戦いでオーストリア軍に勝利するが、その後オーストリア・ロシア連合軍によってベルリンを一時的に占領されてしまう。11月3日にトルガウの戦いで再度オーストリア軍に勝利するものの、プロイセン軍も大きな損失を被る。もはやプロイセン軍はぎりぎりの状態まで消耗していた。だが苦しい状況は相手側も同じであった。フランスは北米やインドなどの植民地でイギリスに完敗し、プロイセンとの戦争どころではなくなっていた。フランスは植民地での劣勢を跳ね返すために同じブルボン王家のスペインに応援をもとめた。しかしスペインの参戦も戦況を悪化させるだけであった。イギリスは大艦隊を編成してスペインの植民地であるキューバのハバナやフィリピンのマニラを占領してしまった。オーストリアも戦費の負担にあえぎ、またオスマン帝国の脅威にも対処せねばならなかった。同様の理由により、1761年10月にはイギリスがプロイセンへの支援を打ち切った。

1762年1月にロシアのエリザヴェータ女帝が急死。後を継いだピョートル3世はフリードリヒ大王の信奉者であったため、プロイセンとの戦争を中止した。オーストリア単独での戦争継続も困難となり、停戦交渉が始められた。最初に講和したのはスウェーデンで、1762年5月にスウェーデン王妃ロビーサ・ウルリカを介してプロイセン、スウェーデン間との和議が成立した。同年11月、フランスの主導でイギリス・フランス・スペインによるフォンテーヌブロー仮条約が結ばれ、翌1763年2月10日、英仏間でパリ条約が締結された。2月15日にはプロイセン、オーストリア、ザクセンがフベルトゥスブルク条約を締結し、七年戦争は終結した。


[編集] 戦後処理
講和条約により、プロイセンのシュレージエン領有が確実なものとなった。プロイセンは強国となったが、以後フリードリヒ大王が戦争に与することは無くなった。

また、北米、西インド諸島、インドにおけるヨーロッパ各国の植民地の帰属が再編され、フランスはインドからほぼ全面的に撤退し、北アメリカの植民地のほとんどを失った。代わって北米とインドでの植民地獲得競争におけるイギリスの優位が決定的になった。しかし、イギリスは多額の負債にあえぐことになり、植民地への課税に訴えるが、これが仇となりアメリカ独立革命を引き起こすことになる。




スポンサーサイト

ギエム様のキトリ(ドン・キホーテ)動画発見

にこにこうろついてたら、ギエム様の動画みつけたー

っていうかちょうどここ、とっても好きだったんだけど

たぶん元はレーザーディスクで買ってもう見れない&
DVDにとりなおしたけどどっかいっちゃった(もの無くすの得意)

というものでうれしー;;



レーザーディスクの本体は動かないし(こわれた)
レーザーディスク自体はなんかどっかにしまってある気がするけど

買い直すかなー
チケットかうと思えば激安
交通費+α程度だし

美と神秘のプリマ シルヴィ・ギエム美と神秘のプリマ シルヴィ・ギエム
(2004/02/25)
ギエム(シルビィ)

商品詳細を見る

曲目リスト
1. エピソード
2. 白鳥の湖
3. イン・ザ・ミドル・サンホワット・エレヴェイテッド
4. シシー
5. ドン・キホーテ
6. マノン
7. ウェット・ウーマン



これか

世紀のプリマ シルヴィ・ギエム世紀のプリマ シルヴィ・ギエム
(2001/09/29)
シルヴィ・ギエム

商品詳細を見る

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
世界のバレエ界の頂点に君臨し続けるカリスマプリマ、シルヴィ・ギエムの最新ドキュメンタリーDVD。「ドン・キホーテ」「ロミオとジュリエット」の厳しいリハーサル場での、ギエムのオーラに溢れた動きと言葉のやりとりのみで構成されている。


のどっちかにこれは入ってる(はず)

ドン・キホーテはどっちにも入ってる
ただ、この動画のあとのほうには黒鳥のもあった
ドキュメンタリーなかんじのなかにこのキトリはあったし
世紀のプリマ~のほうかも・・・
 (※「美と神秘の~」でok)

とはいえ、シシー、ウェットウーマンは記憶に残ってるし
(マノンは、個人的にあの振り付けの人嫌い、だから椿姫も嫌いなので興味ない)
買おうかなー
新品でかえるうちに
DVDなら最近はパソコンで見られるんだし
LDの時代に比べると楽になったなーという感じーヽ(´ー`)ノ
嵩張るし、こわれやすいし、こわれたし

ていうか、世紀のプリマのほう
アマゾン、新品うってないー

というわけで、美と神秘のほう注文したー

ドン・キホーテ(ドレ)Don_Quixote_2.jpg


(追記 5/29)

今日注文した「美と神秘の~」が届いてその中にこの映像はいってた
これで安心ー

便利になるのはいいけど企画がかわると嵩張るだけのものになるのがちょっと・・・



ベルク「ロイコンに(An Leukon)」~歌曲の歌詞&ドイツ語&カルペディエムとか

ベルクの好きな曲だけどマイナーかも・・・
この歌詞を収録したのは1999年の日付があった
それを発掘したので収録ー

CDは家のどこかにあって類似品はアマゾンにあるけど
もってるのとちがうかも

7 early songsのCDについでに入っていた曲で
このCDにも入ってるけど、たぶんもってるのとちがうー
さがすの今はめんどくさい・・・

Schoenberg: Cabaret Songs; Berg: Lieder; Webern: Seven Early SongsSchoenberg: Cabaret Songs; Berg: Lieder; Webern: Seven Early Songs
(1994/04/13)
Alban Berg、

商品詳細を見る


ごそごそ棚をさがしてみつけたー

表紙とかの冊子は行方不明だけど

7 Early Songs7 Early Songs
(1993/09/07)
BergMarshall

商品詳細を見る

ヽ(´ー`)ノ

でももう品切れで中古の値段がすごい;;

普段MP3にしてPCできいてるからCDさがすのがたいへんだったり

あと収録したときには、ドイツ語ウムラウト(üとか)だせないから
めんどくさくて:を後につけてるけど、まいっかー
気が向いたらお手入れしようかな

なおしてみた
u: → ü だけでいいのかな?
あと、SSもエスツェットがだせないからそうしてたけど
それもかえよう

手作業で収録したから間違いあるかもしれないけど・・・

ロイコンに、は、カルペディエムの詩に似ているけど
ともかく歌詞とかについては出典とかさっぱりー

ロイコンに(An Leukon)(1908)[歌曲] J.グライム詞

An Leukon
1908
Johann Wilhelm Ludwig Gleim


Rosen pflücke, Rosen blühn,
Morgen ist nicht heut!
Keine Stunde laß entfliehn,
Flüchtig ist die Zeit!

Trink und küsse: Sieh, es ist
heut Gelegenheit;
Weißt du, wo du morgen bist?
Flüchtig ist die Zeit.

Aufschub einer guten Tat
Hat schon oft gereut.
Hurtig leben ist mein Rat,
Flüchtig ist die Zeit.



To Leukon

Gather roses, the roses are in bloom,
tomorrow is not today!
Let no hour slip away:
time is fleeting!

Drink and kiss: look today
you have the chance;
do you know where you'll be tomorrow?
Time is fleeting.

Putting off a good deed
is often cause for regret.
Live life at full tilt is my advice,
time is fleeting.


曲はこんなかんじ


これ非公開だと直接ここで再生できないっぽいー
てことで設定変更ー

ていうか綴り間違ってるきもするけど
küssseって、sおおすぎのような?
ぐぐったらドイツ語のサイトがあって
küsseだったのでやっぱりsがいっこ多かったようで
動画に歌詞はりつけたあとなのでめんどう;;


というわけでドイツ語についてー

ß
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(エスツェット から転送)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88

ßは「エスツェット(eszett)」と呼ばれ、ドイツ語の正書法でラテン文字(アルファベット)に加えて使われる文字である。小文字だけであり、大文字はない。ドイツ語では scharfes s (シャーフェス エス=鋭い s)とも呼ぶ。スイスでは、この文字を使わず、代わりに ss と綴る。

本来はリガトゥーラ(続け文字)のひとつである。スイスを除き、エスツェットはドイツ語の正書法において固有の機能を持つ文字であり、s の無声音 /s/ を表すために用いられる。

一般には ß は、同じく s の無声音 /s/ を表す ss とほぼ等価であり、ss を1文字で書いたものとされる。辞書では ss の位置に置かれる。また、英文タイプライタなどで ß が表示できないときも ss と代用表記することになっている。正書法で ß を用いるのは、次のような場合である。

長母音の後 - ドイツ語の正書法では、長母音の後には子音字を1つ、短母音の後には子音字を複数置くという原則がある。このため、長母音の後には ss を置くことができず、一方で単独の s は母音の前では有声の s (/z/) を表すため、ß を用いる。
語末 - 旧正書法では、語末の /s/ には、s と ß の二つの綴りがあり、単語によって書き分けられた。例えば同音異義語の das と daß がそうだった。1996年の新正書法では、短母音の後の ß は ss と綴るようになったので、前記の語は das と dass になった。
新正書法では ß が使えないときの置き換えにはつねに ss が用いられるよう規定された。旧正書法では sz もまた認められる置き換えであった。旧東ドイツ政府においても sz を認めようとする動きがあった。


語全体を大文字で書くときは SS と書くが、ß を大文字として使うことも散見される。固有名詞などは混同を避けるため ß をそのまま用いる。例えば姓の Weiss と Weiß を大文字で書くときは、それぞれ WEISS, WEIß になる。

この極めてドイツ的なリガトゥーラの形を適切に決めるための議論が、いまもなお続いていることは、新しいタイポグラフィーデザインに示されている。


[編集] 起源

エスツェットのタイポグラフィには大別して3つあり、ſ(長いsと呼ばれ、f に似ているが、横棒が右に突き出さない)と普通のs の合字、ドイツ文字(亀甲文字)のſ(エス)とz(ツェット、ドイツ文字の z は筆記体の z と似ている)の合字の、二系統がある。現在ラテン字母とともに使われる文字形は ſs の合字に由来する。また、「エスツェット」の名称は後者に由来する。


[編集] 備考
ギリシャ文字の Β(ベータ)の小文字 β とは全く別の文字である。文字セットに ß がない場合に便宜的に β で代用することがあるが、ドイツ語では ss で代用することが常に推奨される。



ウムラウト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%88

ウムラウト(ドイツ語 : Umlaut)とは、

ゲルマン語派の幾つかの言語において見られる母音交替現象。

それによって変化した母音を示すダイアクリティカルマークの一種で、ラテン文字の母音字の上部に付される横並びの2点「¨」のこと。

前述の母音交替現象そのものと区別する為「ウムラウト記号」と言ったほうがいい。



あとは内容的なもの関連でー

768px-Adriaen_van_Utrecht-_Vanitas_-_Still_Life_with_Bouquet_and_Skull.jpg

Carpe diem
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Carpe_diem

Carpe diem is a phrase from a Latin poem by Horace. It is popularly translated from the movie Dead Poets Society as "seize the day". The general definition of carpe diam is "pick, pluck, pluck off, gather" as in plucking or picking a rose or apple, although Horace uses the word in the sense of "enjoy, make use of, seize."[1]

aetas: carpe diem quam minimum credula postero.

is running away from us. Seize the day, trusting little in the future.



Still life
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Still_life

Vanitas
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Vanitas

In the arts, vanitas is a type of symbolic still life painting commonly executed by Northern European painters in Flanders and the Netherlands in the sixteenth and seventeenth centuries. The term vanitas itself refers to the arts, learning and time. The word is Latin, meaning "emptiness" and loosely translated corresponds to the meaninglessness of earthly life and the transient nature of vanity. Ecclesiastes 1:2 from the Bible is often quoted in conjunction with this term. The Vulgate (Latin translation of the Bible) renders the verse as Vanitas vanitatum omnia vanitas. The verse is translated as Vanity of vanities; all is vanity by the King James Version of the Bible, and Utterly meaningless! Everything is meaningless by the New International Version of the Bible.

Paintings executed in the vanitas style are meant as a reminder of the transience of life, the futility of pleasure, and the certainty of death, encouraging a sombre world view.

Common vanitas symbols include skulls, which are a reminder of the certainty of death; rotten fruit, which symbolizes decay like ageing; bubbles, which symbolize the brevity of life and suddenness of death; smoke, watches, and hourglasses, which symbolize the brevity of life; and musical instruments, which symbolize brevity and the ephemeral nature of life.

The first movement in composer Robert Schumann's 5 Pieces in a Folk Style, for Cello and Piano, Op. 103, is entitled Vanitas vanitatum. Mit Humor.

The motto of the Harvard Lampoon magazine is Vanitas, a play on Harvard University's actual motto, Veritas (Truth).

[edit]
See also

Memento mori
Danse Macabre
Ars moriendi

●Wikimedia Commons
Vanitas

http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Vanitas



メメント・モリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA

メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳される事が普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。

古代ローマでは、これは将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われた、と伝えられる。将軍の後ろに使用人が立ち、この使用人は、将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない、ということを思い起こさせる役目をになっていた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。

ただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時「メメント・モリ」の趣旨はcarpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。これの起源は聖書にあり、イザヤ書22:13には「食べ、飲もう。我々は明日死ぬのだから」とある。ただし、この考えは聖書以外で現れている。例えば、ホラティウスの詩にはNunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.(今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ)とある。ホラティウスは、死後においてはそういうことができない、と言うことを示そうとしたのである。これがcarpe diemの古典的なテーマである。

しかし、この言葉はその後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において、「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では、「メメント・モリ」はNunc est bibendumとは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘引となった。


ハンス・ホルバインにより描かれた死の舞踏の版画「メメント・モリ」の思想がもっとも顕著に現れたのは、葬儀のための芸術及び建築物である。おそらく、現代人にとって最も衝撃的なのは、腐敗した死体を表現した墓であろう。これは15世紀に富裕階級の間で流行した。現存するものは、現世の富のむなしさを思い起こさせる。有名な死の舞踏は、「メメント・モリ」の最も知られているテーマで、死神が貧乏人と金持ちを等しく連れ去っている。これと同様なものがヨーロッパの多くの教会に飾り付けられた。その後の植民地時代のアメリカでも、ピューリタンの墓には翼を持つ頭蓋骨、骸骨、蝋燭を消す天使が描かれている。

また時計は、現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの、と考えられていた。公共の時計にはultima forsan(ことによると、最後(の時間))やvulnerant omnes, ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代ではtempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウグスブルクにある、有名なからくり時計は、死神が時を打つ、というものである。こういった「死の時計」は、古き思想を思い起こさせる。個人はもっと小さな時計を持ち歩き、死の運命のリマインダ-としていた。例えば、スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。

芸術では、「静物画」は以前vanitas(ラテン語で「空虚」)と呼ばれていた。静物画を描く際には、なにかしら死を連想させるシンボルを描くべきだと考えられていたからである。明らかに死を意味する骸骨(頭蓋骨)や、より繊細な表現としては花びらが落ちつつある花などがよくシンボルとして使用されていた。美術における骸骨に関しては、en:Skull (symbolism)に詳述されている。

写真が発明されると、多くの人々は最近死んだ親族の写真を撮らせた。ダゲレオタイプの技術的限界を考えて、肖像対象をじっとさせて置く一つの方法であった。

また、「メメント・モリ」は文学上でも重要なテーマであった。イギリスの作品では、トーマス・ブラウンのHydriotaphia、Urn Burialとジェレミー・テイラーの「聖なる生、及び聖なる死」が有名である。これらはエリザベス1世時代の終わりからジェームス1世時代にかけての陰鬱な時代の産物であった。18世紀後半では、トーマス・グレーのElegy in a Country Churchyardやエドワード・ヤングのNight Thoughtsが有名である。

多くの「メメント・モリ」に関する作品は、メキシコの祭り「死の日」に関連付けられる。この祭りでは、パンで作った頭蓋骨が飾られる。

現代の文学でも「メメント・モリ」のモチーフが見られ、例えばホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編「不死の人」に見られる。



768px-Adriaen_van_Utrecht-_Vanitas_-_Still_Life_with_Bouquet_and_Skull.jpg


天球儀とか

見覚えはあるけれど名前がわからないとか、あるいは
見たこともあって名前も知っているけれど、使い方がわからないとか
そういうものはけっこうあるけど
よくわからない状態はいらいらするので調べるー

この名前、天文儀とかで探していまいちみつからなくて
天球儀で調べたらあった
天文儀も検索にはかかるからまちがいではないみたいだけど?

 

天球儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%83%E5%84%80

天球儀(てんきゅうぎ、Armillary sphere)、またはアーミラリ天球儀、または渾天儀とは、天球を象った模型である。

[編集] 歴史

記録に残っている歴史上最も古い天球儀は、紀元前255年に古代ギリシアのエラトステネスが作ったものに遡る。現存しているものの中では、紀元150年前後にローマ帝国で彫刻の一部分として製作されたファルネーゼ・アトラスが最も古いものである。ファルネーゼ・アトラスはナポリの国立考古学博物館で展示されている。また中国でも紀元前1世紀の漢の時代から独自に発展してきた。特に2世紀の天文学者である張衡は、世界で始めて天球儀に動力を導入した人物として知られている。アーミラリ天球儀という名前は、ラテン語で円またはブレスレットを意味する armilla という語に由来する。これは、天球儀が極で接続された金属の輪で作られ、輪によって赤道、黄道、子午線、緯線などを表現しているからである。通常、中心に球が置かれるが、これは初期は地球、その後は太陽を表わしている。天球儀は、地球の周りの星の動きを説明するのに使われている。17世紀にヨーロッパで望遠鏡が発明されるまでは天文学者にとって、天球上の星の配置を決定する最も重要な道具だった。

最も単純な構造のものは、1つのリングが赤道上の円盤と固定された形をしていて、これは最も古い天文学の道具の一つだった。もう少し発達すると、子午線を通る円盤に固定された別のリングと交差するようになる。エラトステネスは黄道傾斜を計測するのに天球儀を使っていたと考えられている。またヒッパルコスは4つのリングからなる天球儀を使っていたと考えられている。プトレマイオスは彼の天球儀のことを著書 Syntaxis の中に記している。

天球儀はギリシャで発達し、3世紀には既に教育用の道具として使われていた。さらに重要な用途として、観測の補助としても使われた。

ムスリムは8世紀頃にギリシャの天球儀をさらに改良し、初めてこれについての論文を書いた。これはイブラヒム・アル・ファザリが書いたもので、Dhat al-Halaq(リングのついた道具)というタイトルだった。アッバス・イブン・フィルナスは9世紀に、天球儀のリングを持ったまた別の道具を製作してカリフであるムハンマド1世に献上したと考えられている。天球儀とアストロラーベの両方の機能を持った道具は、中世のイスラム圏の天文学者や発明家によって作られた。

さらなる改良はティコ・ブラーエによってなされ、そのことは著書 Astronomiae Instauratae Mechanica に記されている。天球儀はルネサンス期にヨーロッパに広く普及した。

ルネサンス期の科学者の肖像では、しばしば天球儀を片手に持った姿が描かれている。これは知恵と知識の象徴だった。

天球儀は当時の機械装置の中で最も複雑なものになった。これは多くの技術の改良をもたらし、またその後の多くの機械装置のデザインのモデルとなった。

天球儀はその後も教育用の便利な道具として生き続けた。中心に地球があるものはプトレマイオス型、中心に太陽があるものはコペルニクス型と呼ばれる。

天球儀は現在のポルトガルの国旗にも描かれ、マヌエル1世の治世下には国家のシンボルだった。


[編集] 天球儀の構造

外部のリングは真鍮でできていて、次のような円を表わしている。
天の赤道に当たるリングAは太陽の上昇角を表わしている。
黄道に当たるリングBは12分割されていて、それぞれが30の角度にさらに分かれていて、1年のうちの月日を表わしている。
北回帰線に当たるリングCは回帰線の始点のe地点で黄道と接し、南回帰線に当たるリングDは回帰線の始点のf地点で黄道に接している。それぞれ天の赤道から23.5度離れている。
天の北極圏に当たるリングEと天の南極圏に当たるリングFはそれぞれ天の北極、南極から23.5度離れている。
二分経線に当たるリングGは天の北極と南極、及び黄道上の昼夜平分点となるみずがめ座とてんびん座を通過する。
至点経線に当たるリングHは天の北極と南極、及び黄道上の至点となるかに座とやぎ座を通過する。リングGとHは赤道から極までが90度ずつに分割され、太陽、月、星などの偏角を表わしている。

北極の位置にはナットがあり、太陽Ψにつながるワイヤーが固定されている。このナットを回転させると、太陽もリングBに沿って動く。また南極の位置はピンで留められていて、これにも月Zとつながる別のワイヤーが固定されており、手で動かすことにより回転させることができる。また、天の北極Nと南極S、地球の北極nと南極sを貫く軸Kに固定されて、地球を表わす小さい球Jがある。

このような装置を用いて、地球の実際の動きや天体の見かけ上の動きに対応することができる。


[編集] 関連項目

アンティキティラ島の機械
アストロラーベ
天文時計
プラネタリウム
プラハの天文時計
天球
トルクエタム


ダモクレスの剣──言葉を探し直すこと

あるとき、ふと見つけた言葉とか・・・

また必要になったら探せばいいか、と思ってそのまま放置

特に外国語(カタカナ)の場合にありがちなのは
カタカナだから覚えづらく思い出せない
微妙に勘違いして覚えたため探しても見つからない
ということ・・・

今日はかなり必死に探した
ネットがあってもこの状態
探し物はほんとうに疲れる

そんなかんじでやっとみつけたのがこれー

 

「リチャード・ウェストール『ダモクレスの剣』(1812年)キケロの逸話の美少年たちは、新古典主義のパトロン、トーマス・ホープのために乙女に変えられてしまった。」

▼ダモクレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9

ダモクレス(Damocles、紀元前4世紀)はシラクサの僭主ディオニソス(1世または2世)の廷臣とされる人物。「ダモクレスの剣」の故事で有名。

ダモクレスの剣

ある日、ダモクレスがディオニソスに対して王の境遇の良さを讃えた。すると後日、ダモクレスは王から豪華な宴の招待を受けた。宴は豪華を極めたものであったが、席上でダモクレスがふと頭上を見上げると、天井から糸で剣がぶら下がっていた。その糸はいつ切れてもおかしくない細さで、王はこれをもって王は常に命の危険に晒されている境遇にあることをダモクレスに示そうとしたのである。

この故事から、ヨーロッパ文化圏で「ダモクレスの剣」は、常に戦々恐々としている状況、あるいはそのような状況をもたらすものの譬えに用いられるようになった。


一安心ー

ヽ(´ー`)ノ

Dionysius I of Syracuse
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Dionysius_I_of_Syracuse

Dionysius I or Dionysius the Elder (ca. 432–367 BC, Greek: Διονύσιος), tyrant of Syracuse, conquered several cities in Sicily and southern Italy, opposed Carthage's influence in Sicily and made Syracuse the most powerful of the Western Greek colonies. He was regarded by the ancients as an example of the worst kind of despot--cruel, suspicious and vindictive.


Name Association

His name is most well known for the legends of Damocles and Damon and Pythias.

He also posed as an author and patron of literature; his poems, severely criticized by Philoxenus, were hissed at the Olympic games; but having gained a prize for a tragedy on the Ransom of Hector at the Lenaea at Athens, he was so elated that he engaged in a debauch which proved fatal.


▼Damocles
From Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Damocles




生命の樹──のこと

生命の樹というのがあったっけーとか思ったので
とりあえずウィキペディアはこんなかんじー

なんか家にカバラの本、むかーしはあったきがするけど
どっかいっちゃったかも

カバラに記されている生命の樹

▼生命の樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9

生命の樹(せいめいのき、Tree of Life)は、旧約聖書の創世記(2章9節以降)にエデンの園の中央に植えられた木。命の木とも訳される。カバラではセフィロトの木 (Sephirothic tree) という。

「禁止命令を無視して」知恵の樹の実を食べた人間が、生命の樹の実も食べるのではないか、と日本では主なる神と訳されているヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)が恐れてアダムとイヴを追放することに決めたとされる。

さまざまな世界観

さまざまな世界観があります

というわけでそれをあつめてみたいなーと
調べられる資料があれば一番楽なんだけど、、、

あ、、、
これはどうかな?

▼創造神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E9%80%A0%E7%A5%9E%E8%A9%B1#.E5.8C.97.E6.AC.A7

創造神話(そうぞうしんわ)とは、人類・地球・生命および宇宙の起源を説明する物語のことである。このような様々な考えは、科学的調査、形而上学的思索、宗教的信念、といったあらゆる出発点から始まっており、それぞれの考え方のばらつきは非常に大きい。


宇宙論自体ではないけど似てるかとー




ヒンドゥー教では、世界は4頭のゾウに支えられており、そのゾウは巨大なリクガメに支えられ、さらにそのリクガメを、みずからの尾をくわえた竜が取り巻いているとされている。
(ウィキペディア、ウロボロスの所より)



▼フィンランド神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

世界の起源と構造

フィンランド神話の中では、この世界は鳥の卵が破裂してできあがったものだとされている。また空は卵の殻かテントのようで、北にある北極星まで届く大きな柱がそれを支えているのだと考えられていた。

▼九つの世界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

九つの世界(ここのつのせかい)は、北欧神話に登場する世界の総称で9つあり、3つの層に分かれている。第一層と第二層とは、虹の橋(ビフレスト)によって結ばれている。

ユグドラシル

ユグドラシルは、九つの世界に根を張り、3つの魔法の泉がある。



『ツァラトゥストラはこう言った』ニーチェ~永劫回帰のあたり

時間についてとか興味深いのでその辺について書かれているのを
集めてみることにー

とりあえず中心は、今日収録した、
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』の永劫回帰とかー

繰り返しの時間や、あるいは時間に関すること・・・

続きを読む »

色の名前(フランスの伝統色)モーヴとか

色の名前のメモー

色の名前、うろおぼえ・・・
失われた時を求めてのどこかに登場した色の名前なんだけど
とりあえず色見本とかで覚えた名前で
それが小説にでてきてたから印象に残ってたけど
その色の名前さえ忘れてた・・・

なんとかGoogle先生に調べてもらった・・・

フランスの伝統色(という色見本で覚えたの)のもの

モーヴという色

ウィキペディアではこう

▼モーブ (色)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%96_%28%E8%89%B2%29

モーブ(Mauve)は薄く灰色がかった紫色で、マゼンタよりも灰色・青みが強い。「薄い青」とされる野草の多くは、実際にはモーブ色である。

(染料のほうの説明より)

モーブはフランス語のアオイを意味する語から名づけられた。



フランスの伝統色の色見本のイメージだとこんな色ー

ここのページを参考にさせてもらいましたー

・フランスの伝統色名
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakamaki/franceA.html

ウィキペディアのとはちょっと違うかも

color="#d8c9d7"







でもこっちので覚えたので、私にとってはこっち・・・

というか、色の名前とかってけっこう幅があったりするし・・・

古代ギリシャの思想~エンペドクレス、ヒポクラテス(四大元素、四体液説)とか

ちょっと調べてみたくなったので調べるー

ウィキペディアで調べた結果、
四体液説とかはヒポクラテスのものであることがわかった


四体液説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E4%BD%93%E6%B6%B2%E8%AA%AC

四体液説(よんたいえきせつ)は、古代ギリシアのヒポクラテスが人間の身体の構成要素として四種類の体液を挙げ、この液体のバランスによって健康状態などが決まるとする説。

エンペドクレスの四大元素説の影響を受けてヒポクラテスが著書『人間の自然性について』の中で人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁からできていると述べており、これが主流の分類である。しかし『疾病について』の中では血液、粘液、胆汁、水であるとしており定まっていない。どちらを採用するかは学派によって異なる。

後にガレノスはこの四体液説を重要視しながら古代の医学を築きあげた。

この説においては、体液は人間の気質にも影響を与えるという。血液が多い人は楽天的、粘液が多い人は鈍重、黒胆汁が多い人は憂鬱(メランコリーの語源は黒胆汁である)、黄胆汁が多い人は気むずかしい気質を持つとする。
なお、現代医学ではこの説は継承されていない。



エンペドクレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%89%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B9

エンペドクレスエンペドクレス(Empedocles、紀元前490年頃 – 紀元前430年頃は、古代ギリシアの自然哲学者、医者、詩人、政治家。アクラガス(現イタリアのアグリジェント)の出身。四元素説を唱えた。弁論術の祖とされる。


思想

物質のアルケーは火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(rizomata:根)からなり、それらを結合する「ピリア(φιλια philia:愛着)」と分離させる「ネイコス(neikos:憎)」がある。それにより四つのリゾーマタ(四大元素)は、集合離散をくり返す。この四つのリゾーマタは、新たに生まれることはなく、消滅することもない。 このように宇宙は愛の支配と争いの支配とが継起交替する動的反復の場である。

また、太陽は巨大な火のかたまりであり、月よりも大きい。天は、氷のように冷たいものが集まってできており、星々は火のリゾーマタが集まってできている。

これは後世に四元素説とよばれた。

魂は、頭や胸ではなく血液にやどっているとした。魂の転生説を支持し、「わたしはかつて一度は、少年であり、少女であり、藪であり、鳥であり、海ではねる魚であった」と述べた。また、最初の人間は、土から頭や腕や足などの体の一部が最初にでき、それらが寄り集まって生まれたと説いた。

感覚について考察し、視覚は目から光が放出されて、対象物にあたることによって生じ、聴覚は耳の中にある軟骨質の鐘のような部分が、空気によって打たれることにより生じるとした。

磁力の起源についても考察した。




▼元素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%B4%A0#.E5.8F.A4.E4.BB.A3.E3.82.AE.E3.83.AA.E3.82.B7.E3.82.A2


元素(げんそ、element)とは化学物質を構成する基礎的な成分(要素)である。


[編集] 古代ギリシア

元素という言葉は後年に作られた為、ギリシア時代には存在しないが、ギリシャ哲学では万物の変化・流転は一大命題として扱われ、多くの哲学者により万物の構成要素として元素の概念が論ぜられた。

タレスは万物の根源にアルケーという呼名を与え水であるとした。その他、空気であると考えた人、火であると考えた人、土だと考えた人がおり、それぞれがアルケーであるという立場を採った。エンペドクレスはアルケーが、火・空気(風とも)・水・土の4つのリゾーマタからなるとする後世にいう四元素説を唱えた。プラトンはこれに階層的な概念を導入し、土が正六面体でもっとも重く、他のリゾーマタは三角形からなる正多面体で、火が最も軽いリゾーマタであり、これら四大元素はそれぞれの重さに応じて運動し互いに入り混じると考えた。なおプラトンの作かどうか疑問視されている著書では、4つのリゾーマタに加え、天の上層を構成するとしてアイテールが導入されている。紀元前350年ごろ、アリストテレスは四元素説を継承した上で、4つのリゾーマタは相互に変換できるものと考え、また天上にのみ存在するアイテールを4つのリゾーマタの上位リゾーマタとして立てた。アイテルを語源とするアイテールは、のちの自然学における第五元素(ラテン語のquinta essentia。なお英語の quintessence (「真髄」 の意)の語源でもある)とされ、宇宙を満たす媒質エーテルの構想へとつながっていく。アリストテレスと同時代のデモクリトスは、無から発生し、再び消滅する究極微粒子(アトム)から万物が構築され、その構造的変化が物性の変化となると論じたが、彼のアトム論は発展を見ることは無く、ヨーロッパにおいては四元素説がスコラ哲学へと継承されてゆくことになる[1]。



興味深いヽ(´ー`)ノ



『プルースト評論選1』④~「文学と批評をめぐる覚え書」&『失われた時を求めて』10&ケーキのこと

この本のメモのつづきー

プルースト評論選〈1〉文学篇 (ちくま文庫) プルースト評論選〈1〉文学篇 (ちくま文庫)
マルセル プルースト (2002/10)
筑摩書房

この商品の詳細を見る



プルースト評論選1』①
 http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-11.html
プルースト評論選1』②
 http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-17.html
プルースト評論選1』③
 http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-26.html

続きを読む »

 | HOME | 

FC2Ad

 

カレンダー

04 | 2008/05 | 06
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

[ベケットギャラリー]

(ベケットの戯曲の抜粋ランダム)

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリー

全ての記事を表示

→全ての記事を表示

最近の記事

『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと⑤
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと④(読書法のこと)
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと③
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと②
『失われた時を求めて』のお気楽読書のーと①
ipodが壊れて買ったにっき
老子の読書めも②
リヴァイアサン読書メモ2(感覚、造影について)
贈り物には羊羹・贈り物には羊羹・贈り物には羊羹
氷が手に着くのは何でなのかな
ラジオのジャズのこと
リヴァイアサン読書めも1

ブログ内検索

Lc.ツリータグリスト

カウンター

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。